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【感想】『教育格差―階層・地域・学歴』

読了:松岡亮二『教育格差―階層・地域・学歴』ちくま新書、2019年。

教育格差 (ちくま新書)

教育格差 (ちくま新書)


世の中には様々な「教育論」がありますよね。

自主性を引き出す教育だとか、個性を重視した教育だとか。基本的にはどれも正しいことが論じられているんだと思います。ただ、それが絶対というわけではないのが「教育」の難しいところ。


おそらく今までたくさんの教育実践が行われてきたのだと思いますが、その前提としてどの子にも同じように…という、いわゆる平等の名の下に。

もちろんこれも正しく、理想的な考えではあるのですが、本書では「教育格差」は明らかに存在している、ということについてデータを中心に論じています。

幼少期、小学校、中学校、高校とそれぞれ章立てて「教育格差」の実態を明らかにしているのですが、全体を通じて共通していることは、そもそも子供の「生まれ」によって格差が生じてしまっているということです。
「SES」(社会的経済的地位)なんて言葉でも表現されています。

誰もが同じ条件で小学校生活を開始する──徒競走のスタートラインのような直線の横並びを想起するかもしれない。しかし、前章で述べた通り未就学段階で「生まれ(出身家庭・出身地域)」で様々な格差があるので、桜の季節に親に手を引かれ入学式の会場に足を踏み入れて戸惑った表情を浮かべる新1年生たちは、約6年間にわたって蓄積してきた異なる経験値を内在している。その上、公立学校はすべての人々に社会的上昇が可能な機会を提供する制度──(初期)条件の平等化装置として期待されているが、公立校であっても教育「環境」が同じなわけではない。

小学校での「教育格差」の実態を論じている章の冒頭部分ですが、幼少期にすでにいくつかの習い事をしていた子供もいれば、何もしてこなかった子供もいるわけで、その時点で格差が生じてしまっています。

これは親の意識が関係していて、教育熱心な親の下に生まれるかどうかで変わってきます。本書では、この他にも様々な要素が、両親が大卒、片方が大卒、両親が非大卒という区分で分析されています。

もちろん家庭だけではなく、住んでいる地域や学区によっても格差があり(この辺は首都圏、非首都圏という区分で分析されています。)、例えば大学進学の意識においても、近所がみんな大学進学をしているような地域であれば、それが「ふつう」として受け入れられ、子供も大学進学の意識が高くなります。


まぁ、そのようなことが様々な角度から分析されているのですが、本書の構成の特徴として、各章末に箇条書き形式で本文の内容が3~4行にまとめられているので、本文で迷子になった場合は章末を読むと概要が分かるようになっています。読む上で非常に助かりました。


結論的な部分では、こうした明らかな「教育格差」という事実があることに目を背けずに建設的な議論を進めてほしいと書かれているのですが、その中に、大学での教職課程のカリキュラムに「教育格差」を追加すべきだということが主張されています。

そのまま高ランク・高SESである高校で学び大学まで出た教師からすれば、かつての自分のように一生懸命勉強しない低SESの児童・生徒、それに自分や近所の同級生の親と比べて子育てに専念しているように思えない親が不真面目に見えてもおかしくはない。教育格差について体系的に学ばなければ、低SESの児童・生徒が日々どのような現実を潜り抜け、その総体として授業に関心を持たないように見えるのか理解できないだろう。

非常に重要な視点だと思います。高SESの教育を受けてきた教師(になろうとする学生)に、はい、じゃあ小学生時代にタイムスリップして低SESの教育を受け直してこいっていうのは物理的に無理な話です。

となると、知識として低SES層の実態を習得するしかないと思います。この辺の実態を知っているのといないのとでは、将来教育現場に出た際の指導に影響してくるのではないだろうか。

逆に言うと、大学側としてはカリキュラムに「教育格差」をしっかりと取り入れることが重要になってきます。


しかし、筆者の葛藤でも言われていましたが、一方では高SESの再生産にもなってしまいます。

私は大学で教育社会学を教えている。これは大きな矛盾を孕んだ選択だ。難しい話ではない。大学生は平均的に高SES家庭出身であるわけで、教育格差とメカニズムを学んだ学生はその知識を使って助言を弟や妹にしたり、自身が親になったときに現在の社会制度の中で生き抜くのに「適切」な子育てをしたりするだろう。そう、私は教育格差を高SES家庭出身の学生に教えることで、「生まれ」の世代間再生産を強化しているのだ。

まぁ、でも、そんなこと言い始めたら何もできないよなぁ、とは思いました。


本書のテーマは、「教育社会学」という分野になるのですが、私自身もこの分野は非常に興味深いと思っている分野です。

大学時代、授業で様々な論文を読みましたが、「教育論」ってどうしても理想が先走ってしまい、「言っていることは分かるんだけど、現実的に無理あるでしょ…」みたいなものが結構あります。

そんな中で教育社会学は、各種データを用いながら社会背景や文化背景を紐解きながら分析している分野で、理想と現実をしっかりと見極めながら着地点を見付けている印象です。


「教育」という分野は、基本的には効果が出るまで時間がかかるので難しいと思います。
例えば中学校1年生の時に導入された政策が、自分が高校卒業くらいにやっと効果が出てきたからって、もう一度やり直せないですからね。

逆にその政策が失敗とみなされた場合も然りです。
私の世代なんかは「ゆとり世代」なんて総称されてしまいますが、世間的には「ゆとり教育」という政策は失敗とされています。


だからといって、ちょっと新しい政策を試したいからある学年の1組だけ実験させてくれ、なんてこともなかなかできません。人道的に。


一応、大学、大学院時代に「教育学」を専門として勉強してきたので他にも色々と思うことはあるのですが、今回はこれくらいにしておきます。