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【感想】『いまさら翼といわれても』

読了:米澤穂信『いまさら翼といわれても』角川文庫、2019年。

 古典部シリーズの最新刊で、今年文庫化されました。早々に購入はしていたのですが、読み始めるタイミングを逃してこの時期になってしまいました。


 私はこの古典部シリーズが大好きなのですが、入りはアニメの「氷菓」からでした。制作会社は京都アニメーションです。アニメに詳しくない方でも、今年の夏、名前を知ることになったと思います。ここでは触れません。

 当時、「氷菓」が放送されていた頃はまだ学生だったのですが、もうね、とにかく1週間の楽しみでした。私の京都アニメーションに対する贔屓目を抜きにしても、作画は綺麗だし、表現も素晴らしいし、大袈裟ではなく本当にその世界に入り込んでいるような感覚になる作品でした。

と、まぁ、こんな感じでしたので、「原作もしっかり読もう!」となり、当時すでに4作品くらいは文庫化されていたので速攻で読み耽った、今となっては懐かしい思い出です。


 さてさて、今作ですが、6話からなる短編集です。
 「わたしたちの伝説の一冊」では伊原摩耶花の未来への第一歩が描かれていたり(久々にあのキャラも登場します。)、「長い休日」では折木奉太郎がモットーである、「やらなくていいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」という考えに辿り着いた理由が過去の回想で描かれていたり、と古典部メンバーの未来や過去に焦点が当てられていましたが、その中でもやはり印象に残ったのは、題名にもなっている「いまさら翼といわれても」でした。

 この章では千反田えるの葛藤が描かれています。
 葛藤の原因は父親から家を継がなくてよいと言われたことです。えるの中ではずっと家を継ぐ前提で生活が進んでおり、過去には後継ぎとしての知識を得るための大学に進学し、最終的には神山の地に戻ってくるという話を奉太郎にもしていました。
 幼少期から刷り込み的な要素があったとしても、「家を継ぐ」ということがある種のアイデンティティとなっていたえるにとって、突然、しかも高校生活も中盤に差し掛かり(本章の時期は高校2年の夏休み)、その将来がそろそろ現実味を帯びてきたという時期に、「継がなくてよい」なんて言われたら、それはもう計り知れないほどの衝撃だったと思います。今までの自分は何だったのだろうか…と。

 閉じた扉の向こうから、ひどく静かな声が届く。
「折木さん」
「聞いてるよ」
「わたし、いまさら自由に生きろって言われても……お前の好きな道を選べって言われても……千反田家のことはなんとかするから考えなくてもいいなんて言われても……」
 次第に自嘲するように変わっていく声は、最後に言った。
「いまさら翼といわれても、困るんです」

 ちなみに、冒頭だけがえる視点で描かれ、それ以降は奉太郎の視点で描かれています。物語の展開上、奉太郎視点なのは仕方のないことだとは思うのですが、える視点からも読んでみたい物語でした。


 今作はえるにとっての転換期となりましたが、今後それがどのように影響してくるのかが非常に楽しみです。
 特に、奉太郎との関係性は読者としても気になるところで、本作の主題が恋愛ではないためあまり大きく取り上げられることはありませんが、奉太郎自身はえるに対して少なからず好意を抱いています。一方のえるは自分のことになると鈍感な部分もあるので、果たしてそれに気付いているかどうかは謎です。とはいえ、この2人はもう熟年夫婦ばりの落ち着きを醸し出しているときもあり、周りもそんな雰囲気を感じ取っているようないないような。

 前述した「いまさら翼といわれても」では、えるを探す場面があるのですが(なぜさがしているのかは是非お読みいただければと思います。)、福部里志は次のように言います。

「千反田さんが見つかることを願ってる。こんな時に手伝えなくて、本当に申し訳ない」
「いや」
 考えがまとまらないまま、俺は咄嗟に、
「後は任せろ」
と言ってしまう。里志は目を見開き、それから少し笑った。
「わかった、任せるよ。……隠れた千反田さんを見つけられるのは、たぶん、ホータローだけだろうしね」

 私の気持ちを代弁してくれたように感じたのですが、まぁ、この辺は人それぞれですかね。この作品に「恋愛要素はいらない!」と思っている方もいるでしょうし。


 この古典部シリーズは高校卒業まではとりあえず続くようなので、今後の展開が非常に楽しみです。

 今回はこんな感じです。