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【感想】『SNS変遷史 「いいね!」でつながる社会のゆくえ』

読了:天野彬『SNS変遷史 「いいね!」でつながる社会のゆくえ』イースト新書、2019年。

 「2004年のmixiからInstagramTikTokまで、たった15年!」。15年って長いのか短いのかよく分からないけれど、mixiの登場以降、本当に色んなSNSが誕生したんだなー。それこそ、名前すら聞いたことなかったようなものまで挙げられていました。ただ、SNSの黎明期を追っていた部分を読んでいると、「あー、あったあった!」なんて過去を懐かしむこともできました。

 平成は、そのはじまりにはまだ社会に影も形もなかったインターネットが、日々の生活になくてはならないものになり、私たちの生活を大きく変えていった時代だととらえられる。情報は素早くリッチに届けられるようになり、人とのコミュニケーションも買い物も個人の情報発信活動も利便性が圧倒的に向上していった。
 私たちは国境を越えてつながるようになったし、文字通り海外出自のサービスを活用するようにもなっている。この三〇年は、私たちの生活を情報的な意味で圧倒的に豊かにしたと思う。

 平成は昭和の約半分しか続かなかったけど、SNSはさらにその半分で、短期間でここまでの市場を形成していることを考えるとやはり結構なスピード感なのでしょう。そもそも、それを支えているインターネットだって大衆的に認知され出したのが1990年代ということを考えると、平成はインターネットの発展の時代だったと言えます。

 先述した「過去を懐かしむ」という意味では、mixiについて書かれているところなんてまさに「懐かしさ」しかありませんでした。私の中では勝手に「過去」扱いなのですが、まだまだご健在なんですよね。
 私自身、大学1年の頃に友人に招待されて始めましたし(最初の頃は招待制だった。)、むしろ周囲の大半がmixiをやっているという状態でしたので、ちょうどその頃は全盛期だったんだと思います。そこから高校時代の友人、中学時代の友人に繋がっていくという流れが素直に「すげーな」って感動した覚えがあります。

 mixiの特徴として「足あと」機能が挙げられるのですが、筆者はこのように言っております。

 ミクシィならではの特徴のもう一つは、「足あと」というプチ承認欲求装置だ。足あとがつくと、自分がその人から気にしてもらっているようで嬉しい。一方で、足あとを付けてもらったら、相手のページを訪れて足あとを付け返さないと悪い気もしてしまう。
 「あいさつの返事」のような儀礼性が発生してしまうことこそが、日本的なコミュニケーション風土を象徴していた──そして、いき過ぎると足あとを返さないければというプレッシャーになってしまい、そのネガティブな面が強まっていく。

 あー、なんか当時のネットニュースでちらほらと見かけていた気がします。まぁ、今でも「SNS疲れ」だとか「LINE疲れ」だとか言葉を変えて同じようなことが言われているので、それらの原点的な言説なんだと思います。

 mixiは大学4年生の頃(定かではないがその頃だったと思う。)までは続けていたので、その間の変化は間近で見てきました。特にTwitterが流行り出した頃に「mixiボイス」が実装されたと記憶していて、それ以降自分も含めてマイミクさんたちから一気に日記の更新頻度が減ったのを覚えています。
 そしてすでにその頃には生活圏をTwitterに移していたということもあり、私は程なくして退会しました。それ以降は動向を追っていなかったので、これがmixiを「過去」として見てしまう理由です。

 ツイッターの日本版がリリースされたのは二〇〇八年。一一年が経ち、もともとはさえずりのための空間であったものの、最近では写真や動画、さらにはライブ配信の形でもシェアできるようになっており、どんどん領域の拡張が進んでいる。

 Twitterももうそんなに経つのか……。私は現状では「SNS」と呼べるものは、Twitterしかやっておらず、以前、こちらの記事でも書いたのですが、初めて利用したのは2009年でした。
 現在よりもその時期の方が使用頻度は高く、気付いたら1〜2時間が経っているなんてこともあり、Twitterの変化は結構間近で見てきたなぁーなんて思いもあるのです。

 今ではTwitterから直接写真投稿が当たり前かもしれませんが、昔はTwitterそのものに写真投稿機能がなかったので、外部サイトの「TwiPic」をアカウント連携させて写真を投稿していたなんてこともありました。他にも、サーバーダウンするとクジラが現れたりだとか人のタイムラインを覗けたりだとか。

 「ふぁぼ数」(今で言う「♡」の数)を管理してくれる「ふぁぼったー」なんてサービスもありましたね。
 また、Twitterばっか見ていたから当然ちゃ当然なのかもしれませんが、「こういうサービスがある!」っていうのを検索ではなくて誰かのツイートで知って利用し始めるということも数多くありました。

 途中、約1年のブランクがあるとはいえ、黎明期からずっと使ってきていることもありTwitterの思い出を挙げるとキリがないので、これくらいにしておきます。


 筆者はMAU(Monthly Active Users)を基に、Facebookを「ザ・SNS」としています。

 これを見ると、フェイスブックが、どんな国家の人口よりも多いユーザーを集め、世界一のプラットフォームを形成していることがわかる。一方で、日本国内だけで考えると、ツイッターが最も多く使われているSNSであり、いかに日本人がツイッター好きかわかるだろう。インスタグラムも、この数年でフェイスブックを上回るようになり、これは世界でも日本だけの現象だ。

 それでも日本はTwitterが最大規模のSNSのようで、当時から言われてはおりましたが、Twitterの匿名性や日本語独特の言葉遊び的な面が140字制限と妙にマッチした部分があるのだと思います。


 ここまで本書の副題にもある「いいね!」の部分をガン無視して書いてきましたが、Facebookの特徴の1つに「いいね!」ボタンがあります。とは言っても、mixiにも同じようなものがあった気がしますし、Twitterも当初は「お気に入り」(=Favorite→「ふぁぼ」なんて呼ばれていました。)として設置されていましたし、決して先進的なものではなかったのではないでしょうか。ただ、「いいね!」という語感が見事にハマったのだと思います。

 「いいね!」をめぐっては、承認欲求の問題を指摘する人もいる。「いいね!」欲しさに行動するのは本末転倒ではないか。また非道徳的なことや過激なことをするよう注目を浴びたがる若い人々をけしかけているのではないかと。
 それらの指摘には一理あるし考慮すべき懸念が一切ないとはまったく思っていないが、これをきっかけに多くのユーザーのシェアが促されるようになったということ、人々の支持が可視化されるようになったこと、それまでであればなかったであろう好意的でポジティブなフィードバックがたくさん生まれたことなどは疑いえない。
 わざわざありがとう、すごいねと言うほどでもないけど、何かリアクションしたい。そういったものが「いいね!」によって評価されている。これらはコミュニケーションの価値と言っていいはずだ。

 「いいね!」数によってどれだけの「支持」を集めているかということの可視化が行われ、確かにこれはそれこそ「いいね!」な現象なのだけれど、だからと言ってその全数が「支持」というわけではないよね?とも思うのです。
 私もFacebook利用時によくやっていたことなのですが、「「どうでもいいね!」という気持ちを込めての「いいね!」」という可能性もあります。これは完全に私の偏見なのですが、大学生の頃はキラキラな出来事をアップしている方々や「こう思うぜ!」みたいな意識高い系の投稿が結構多かったので、その対照的な位置にいた私なんかは「はいはい、よかったですね」って皮肉を込めて「いいね!」していたことも……。

 もう少し一般的な内容に広げると、例えばバイトテロ的な投稿に対して「いいね!」が2万件付いていたとしても、それは決して「好意的」や「支持」という意味ではないですよね。世に広げたい(炎上させたい)、でも「悪いね!」が無いから「仕方なく「いいね!」」ということもあると思います。
 「いいね!」による過度な承認欲求的な話はよく見かけますが、「仕方なく「いいね!」」みたいな面って意外と語られていないんじゃないかなーと思うんですよね。

 またTwitterの話に戻して申し訳ないのですが、Twitterでは「♡」がいわゆる「いいね!」に該当するもので、これにも色んな意味があると思っています。
 たまに偏っているような意見が書かれたツイートに対して、「こんなツイートに3万も支持(3万の「♡」)が集まっているなんて終わってる」みたいなツイートを見かけることがあるのですが、「後で読み直す」ためのメモ的な意味とか、賛否は置いておいて「へぇ、こんな考え方もあるんだー」程度の意味とか、「うわ、こいつ最悪、炎上させてやろ」的な意味とか、本当に色んな意味合いで「♡」が付けられていると私は考えているのです。私もメモ的な意味とか「へぇ」的な意味で付けることがよくあります。


 本書では他にもGoogle+ぐぐたす)やFoursquareなど過去のもの、InstagramTikTokなど現在進行系のもの、そして今後の展望など非常によくまとまっていたと思います。題名にもあるように、この短期間に目まぐるしく入れ替わったSNSの流れを掴むにはもってこいの本です。