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【感想】『名画という迷宮』

読了:木村泰司『名画という迷宮』PHP新書、2019年。

 趣味の1つに西洋絵画鑑賞があるのですが、ここ最近はほとんど行けていなくて、記憶にある限りでは、一昨年開催された「フェルメール展」が最後でしょうか。ちなみに、この展示会はフェルメールの絵画が6枚くらいまとめて展示されている部屋があり、そこに関しては非常に贅沢な空間ではあったけど、それ以外に関してはちょっと期待外れ感が強かったです。入場券が2,500円というだいぶ強気な「フェルメール価格」だったということも影響していると思いますが……(大体、1,600円〜1,800円の範囲)。

 それはさておき、長い間西洋絵画に触れていないということもあり、美術関係の本が読みたいなーと探していたところ、好きなバロック期、さらには好きな画家の1人であるフェルメールも取り上げているということで本書を手に取ってみました。

 西洋絵画を愛して、熱心に美術展にお運びくださっている皆さまから、よくおうかがいするのが、ルネサンス期以降のことは、よくわからないというご感想です。そこで、本書では、17世紀にスポットを当て、この時代に活躍した巨匠たちのドラマチックな人生と、美術史に燦然と輝くその活躍ぶりを追ってみたいと思いました。
 美術史上では、バロックと呼ばれる時代に当たり、後世、私たちは尊敬と親しみをこめて、この時代の大御所をオールド・マスターズと呼んでいます。

 本書ではカラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス、プッサンレンブラントフェルメールの6人の画家が取り上げられています。

 資料と絵画を基に画家の人生を追っている内容ですが、それぞれ三者三様ならぬ六者六様の人生を歩んでいてなかなか興味深いですね。特にレンブラントの章で触れられておりましたが、当時は「集団肖像画」という制作依頼があったそうで、お恥ずかしながら初めて知りました。

 オランダの肖像画の独自の形式として、集団肖像画というものがありました。オランダは、ヨーロッパの中でいち早く近代社会、すなわち市民社会を築き上げた国です。そして、市民を中心にして、様々な業者組合(ギルド)や自警団が組織されたのです。養老院や貧困者養護施設、また孤児院などの慈善施設も設立されました。
 そうした団体からの依頼で描かれたのが、集団肖像画でした。今日の記念写真のようなものです。レンブラントの《トゥルプ博士の解剖学講義》は、伝統的な集団肖像画にありがちな、人物をただ前後に並べて描くだけの構図ではありませんでした。処刑された罪人の死体解剖の場面を、緊張感あふれる写実的な構図で描いたのです。

チュルプ博士の解剖学講義

 私にとって、この「テュルプ博士の解剖学講義」を初めて見たときは結構衝撃的だったことを覚えていますが、この絵の構図が当時は画期的だったようで、レンブラントはこれを機に一躍有名になりました。ただ、その後に製作された集団肖像画、現在では「傑作」と名高い「夜警」がかなり批判を浴びたそうです。

 すでに述べたように、集団肖像画は、市民社会が成立したオランダにおいて流行したジャンルで、いわば記念写真のようなものです。美術史上、燦然と輝く《夜警》【59】を私たちは純粋に芸術品として鑑賞しますが、当時の人にとっては「商品」でもあったのです。皆が均等にお金を出すのであれば、当然、均等に描かれなければなりませんし、そもそも肖像画である以上、本人に似ていなければなりません。注文主の意向に反する表現は、職業画家として許されることではなかったのです。
 しかし、レンブラントは、当代きっての巨匠という自負もあり、躍動感を出すために集団肖像画の範疇を超えた表現で描きました。その結果、目立つ人と目立たない人との差が大きいうえに、コック隊長と副官のライテンブルフ以外は識別しにくくなってしまったのです。

夜警

 当時の画家は現在の「自分の中に秘められた思いをぶちまけてやるぜ!!」的な、いわゆる「表現者」という立場ではなく、注文に応じた絵画を制作する「職人」という立場です(その中でも王室に認められると栄誉あるお抱えの宮廷画家になりますが、それでもやはり王の注文に応じた絵画を制作します。)。

 また、あくまで「肖像画」なので、現在の「写真」のようなものです。それにも関わらず、人物によって目立ち具合を変え、さらには本人を判別しにくいような描き方をしたら、そりゃー不満が噴出しますよね。
 写真屋さんに依頼した家族や友人との記念写真で、真ん中の人だけにピントが合わせられていて、周りが若干ボケている写真を撮られるようなものです。とは言っても、「夜警」の評価自体は当時から高かったようです。

 しかし、ちょうどその頃、社会の流行が別の画風に移っていた時期でもあったことと、レンブラント本人の私生活における問題で徐々に下降線を辿っていきますが、「レンブラント」とというネームバリューのおかげで晩年までもそれなりに制作依頼は続いていたそうです。


 ここからは私の単なる想像というか、妄想というか、どーでもいいことなんですけど、現在では私たちはこれらの絵画を「芸術」として捉えています。私自身もそうです。しかし、当時はまた別の役割を持っていたと思うんですね。

 例えば「宗教画」が描かれていた時代なんかは、文字を読める層が限られていましたし、そもそも聖書も限られた部数しかなかったわけですから、「宗教画」そのものが一部の場面ではあるけど「聖書」の役割を担っていたんだと思います。だから、特に重要な場面は様々な画家によって描かれていたわけですし。「受胎告知」とか「キリストの磔刑」とか。

 そして、印刷技術が発明されて聖書が大量印刷されるようになると、「聖書があるんだから宗教画よりもっと身近なこと描こうぜ!」って感じで風俗画や肖像画が広まっていったのでしょう。これらは日常の一部を切り取る「写真」みたいな役割ですかね。

 本書でも述べられていましたが、中世では画家は「芸術家」ではなく、「職人」、広く言えば「商人(ビジネスマン)」だったということです。それが徐々に「作家」だとか「写真家」みたいにそれ専門で取り扱う職業が現れてくると、必然的に元々それらを担っていた「画家」からはどんどんと役割が剥がされていきます。そして次第に「職人」や「商人」という意味合いが薄れ、残るはもう自分の思いを全面に出す絵画へとなっていくのかなー、と。

 まぁ、だから宗教画の場合は「聖書」への知識やら当時の社会背景の知識やらがあれば、何となーくでもその絵画が表していることが分かるんですよね。しかし、内なる思いが全面的に表現されている現代美術は正直なところ解説を読んでも分かったような分からないようなことが多いのです。
 誤解を招いたら申し訳ないのですが、決して現代美術を批判しているわけではありません。むしろ、もうちょっと現代美術にも踏み込んでみたいなぁ、とは思っているのですが、やっぱり中世や近代絵画の展示会が開催されているとそちらを優先で行ってしまうんですよね。

 結局のところ、趣味としての絵画鑑賞なので、しかもそれなりにお金をかけて見に行くのだから、どうしても好きな方に流れてしまうのは致し方のないことです。


 今年はどんな美術展が開催されるかなぁ。今回はこんな感じです。