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【感想】『教養としての「世界史」の読み方』

読了:本村凌二『教養としての「世界史」の読み方」PHP研究所、2016年。

 ローマ史研究家が、敢えてそれ以外の時代や地域も含めて教養としての「世界史」を記した書籍です。
 「敢えて」がポイントで、著者の動機として、歴史家が書く「世界史」は専門的過ぎて面白くないと思われがちで、そして自分の専門分野以外には手を出したがらないという状況に一石を投じてみようということだそうです。
 とは言っても、そこはやはりローマ史専門家なのでしょう、随所にローマを軸に比較している部分があるのですが、それを差し引いても、非常に分かりやすく書かれていました。


 私は高校時代、2年生から世界史が必修だったのですが、運良く担当教員に恵まれたおかげで楽しく学ぶことができ、好きな教科になりました。まぁ、どちらかと言えば受験を意識した勉強をしてはいましたが、それでも今まで知らなかった歴史を知ることが楽しくて楽しくてしょうがないという思いで、年号なんかは語呂合わせを自作していたくらいです。
 余談ですが、参考書に書かれている語呂合わせは一般ウケする言葉が選ばれているので、インパクトに欠けるものやむしろ覚えにくいものがあって、無理矢理それらを覚えるくらいだったら、自分の趣味に引き込んで自作した方が断然覚えやすかったですね。

 そういう勉強をしていたので確かに受験では力を発揮できましたが、それ以降はやっぱりどんどん忘れていくわけで、つい最近センター試験の世界史を見てみたのですが全然分かりませんでした。単語は分かるんだけど、それがいつの時代だったか、誰が行った政策だったかなどはキレイサッパリというくらい。だから、本書を読んでいると「あー、あったあった!」と遥か彼方の記憶が蘇ってきてそれはそれで楽しかったです。
 

 歴史を学ぶとき、これまではまず日本史から始めるという人がほとんどでした。事実、私の周りにも日本史は好きだけれど、世界史は今ひとつ、という人がたくさんいます。
 世界史が敬遠される理由は、いくつかあります。
 中でも最も多いのが、五千年以上という年月の長さと文字通り世界中という範囲の広さです。加えて登場する人名や地名がカタカナばかりで覚えづらい。漢字ならいいかというと、中国史の地名・人名はカタカナ以上に読みにくかったりします。

 これは私も経験があって、周りからよく「カタカナばかりで分かんない(特に人名)」なんて言葉を聞いていました。これを聞く度に、「口に出していれば覚えられるんだから、漢字ばかりの日本史より簡単じゃないか…?」って思っていたんですよ。当然、当時は「試験勉強として」の意味合いが強いのですが、覚えたい出来事や人物はとにかく念仏のようにブツブツ言っていたら大体は覚えられた気がします。その反面、漢字とセットで覚えなきゃいけない中国史なんかは苦戦していましたけど…。


 第7章の見出しにもなっていたけど、著者は歴史を全て「現代史」と捉えることが大切だとしています。私たちから見れば、古代ローマも中世ヨーロッパも、前漢後漢時代も「過去」のものですが、その視点だけで見ていると「現在」の常識の枠内だけで考えてしまいます。
 「現在」から見ると「常識外れ」の行動や出来事でも、当時の社会背景などを踏まえて考えると必然的に起こったことであったり、当時では「常識」として捉えられていたりする側面が見えてきます。

 われわれ歴史学者は、過去の人々の感性を理解しようとするため、その時代固有の感性なり、意識なりというものにできる限り還元していく努力をします。こうしたスタンスは学者としては間違っていないと思いますが、論文ならいざ知らず、そうしたスタンスのまま一般書を書いてしまうと、読んでもらえないものになってしまうという問題があります。
 専門家の書く歴史書が面白くないのは、このためです。


(中略)


 ローマ史にかぎりませんが、前近代を背景とする作家の物語を読むと、たとえば「占い」や「前兆」に人々が左右されている場面があったりします。そのとき、「占い」や「前兆」はあっさり触れただけで済まされており、古代人や中世人がどういう意識を持っていたかという点についてはほとんど語られていません。そのため今の感覚で読むと、前近代の人々が迷信に左右される未開な人々であったかのような印象しか残りません。でも、古い時代を扱う歴史研究者は、そこに生きていた人々にとって「占い」や「前兆」は彼らの活動に大きな影響をおよぼすほど迫真の力があったことに着目します。

 これは本書に取り上げられていたほんの一例です。他にも「ローマは大国になれたけど、ギリシアはなれなかった理由」だとか「独裁者が生まれる理由」だとか非常に興味深い内容が多かったです。

 学校で学ぶ歴史は「事実の羅列」と言われるのをよく耳にします。ある事象の裏事情というか発生要因みたいのを学ぶ場面は少ないと思います。逆に学校の授業でそれらを事細かにやっていたら何時間あっても足りないのですが……。

 もちろん本書に書かれていることが全てではないと思っているし、研究者によっては全く異なる見解を示していることもあると思います。その辺は読む側が総合的に判断しなくてはいけませんが、そういう様々な視点があるという部分も歴史の醍醐味だと思いますし、やっぱりこれからも世界史を積極的に学んでいきたいなーなんて思いました。


 今回はこんな感じです。