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【感想】『三途の川で落しもの』

読了:西條奈加『三途の川で落しもの』幻冬舎文庫、2016年。


 久し振りに小説を読みました。
 「三途の川」というと、「「あの世」へ行くために渡る川」くらいのイメージしかなく、同様に「賽の河原」なんかも子供が石を積んでいて鬼がそれを壊してやり直させるイメージ図が浮かぶ程度です。そのせいか、全体的に鬱蒼とした雰囲気を思い描いてしまうのですが、志田叶人(以下、叶人)という「子供」を主人公に据え、彼が奪衣婆を「ダ・ツ・エヴァ」と西洋風なキャラ付けをしたり、懸衣翁を「県営王」と県知事みたいなキャラ付けをしたりすることで、どこかコミカルな雰囲気を漂わせています。まぁ、表紙の絵からして暗い雰囲気の物語だとは思いませんでしたけど。


 物語は、叶人がある出来事がきっかけで生死を彷徨っている間に魂だけが抜け出して三途の川に迷い込むということから始まります。ちなみに先ほど紹介した「ダ・ツ・エヴァ」などは、その魂が「だつえば」に抱いているイメージで容姿が変わるようで、彼の中ではそんなイメージだったそうです。一応「金髪碧眼の美女」や「ファンタジー系のゲームに出てくるキャラクター」と表現されていて、なんとなーく私は「無双OROCHI」に出てくる妲己みたいな感じを思い浮かべました。なお、死者によっては恐ろしい婆さんの容姿をしていたようです。

 叶人はまだ完全な死者ではないということで現世に戻るように諭されますが、それを拒み(その理由がこの物語の肝です。)、渡し守である十蔵と虎之助の手伝いをすることになります。
 そこまでが物語の導入部分で、それ以降は短編にはなっているのですが、渡し守の仕事紹介的な話、十蔵の過去に繋がる話、虎之助の過去に繋がる話、そして叶人自身の話と、いわば定番な流れで構成されています。

 この十蔵と虎之助は、詳細は省きますが、要は輪廻の道から外れた魂で、次の生を受けることができないために三途の川で渡し守をやっているのですが、性格が正反対でこれがまた物語を柔らかい雰囲気にする一因を担っています。十蔵は律儀な武士、虎之助は喧嘩っ早くて口の悪いあらくれみたいな人物で、でもそれぞれ輪廻の道から外れてしまった過去というか因果を抱えていて、その辺で物語に強弱がついているようにも思えます。


 ところで、西条氏の作品を目にするのは初めてで、ご本人の経歴等も一切知らなかったので本作を読み終えた後に調べてみたところ、時代小説を書かれているということを知りました。確かにこの作品の特徴としては、「三途の川」と「現世」という2つの世界が舞台になっており、「現世」は叶人が生きていた現代社会、そこに十蔵と虎之助という最後の生が「江戸時代」という人物がいて、現在と過去が混在しているように感じる部分です。

 渡し守の仕事として「現世」に下りることがある3人ですが、十蔵と虎之助は「現世」のモノを江戸時代のモノと比較したり、例えたりしている場面が結構あります。

 渋谷が近づくにつれ、人口密度が高くなる。現代っ子の叶人ですらも、渋谷の人込みにはげんなりする。江戸時代生まれには耐えられないように思えたが、意外にも人の多さにはふたりは慣れていた。
「たいした混みようだな。こりゃあ、両国広小路にも勝るとも劣らねえ」
 江戸の人口は、叶人が考えていたよりも、ずっと多いようだった。ただ、渋谷も代々木も六本木も、さっきふたりが言ったとおりのひなびた村で、両国広小路という場所が、もっとも繁華な通りだったという。

 この後、2人と叶人の噛み合わない会話が続くのですが、そういう場面もやはり物語全体をコミカルで柔らかい雰囲気にしているんだと思います。クスッと笑えるような感じです。

 「三途の川」が舞台になっている以上、「死」というものを取り扱わざるを得ない展開でしたが、ここまで触れてきたような要素を散りばめることで、物語全体が柔らかい雰囲気を保っている作品でした。ただ、結末部分は若干ご都合主義のように感じていまいましたかね。私としてはそのままラーメン屋に行かずに終わった方がよかったかなー、と。


 今回はこんな感じです。