2009年に一度読んでいるのですが、瀬尾まいこ氏の作品の中でも印象に残っている作品の1つで、久々に読み返してみました。
瀬尾氏の作品では特に「家族」について描かれていることが多く、だけど、単に「家族」と言っても様々な形の家族が描かれています。本作品もそのうちの1つで、それが冒頭部分でいきなり出てきます。
「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」
春休み最後の日、朝の食卓で父さんが言った。
私は口に突っ込んでいたトマトをごくりと飲み込んでから「何それ?」と言って、直ちゃんはいつもの穏やかな口調で「あらまあ」と言った。
たったこれだけの文章ですが、メインとなる登場人物を一気に3人登場させ、なんとなーく彼らの性格というか、物語における立ち位置的なものが詰め込まれているような気がします。いや、今後の展開を知っているからそう感じるだけかもしれませんが、とにかくこの冒頭部には読者を物語にグッと引き寄せる力があるように感じます。こういう部分が瀬尾氏の文章で上手いところだよなぁー、と思います。
父さんは「父さんを辞め」、いわゆる「父親」という役割を捨て、何と言うんでしょうかね、そういう役割は持たずに1人の人間として生きていこうとします。教師という仕事を辞めて医学部合格に向けて受験勉強をしたり、近所をふらふらと散歩したりとやりたいことを自由にやっていこうとします。
それに対して、「私」、中原佐和子はどこか違和感を覚えながらも父の選んだ道を受け入れ、兄である「直ちゃん」は父さんを辞める宣言の時点であっさりと受け入れます。この性格の違いには過去のある出来事が関係しているのですが、その辺はこの物語の中核になる部分なので割愛します。
ちなみに、この家族は、お母さんだけは別居しています(離婚はしていない)。これもやはり過去のある出来事が原因で、みんなと一緒にいるとどんどん自分を追い詰めてしまうため、距離を開けることになりました。しかし、佐和子は頻繁にお母さんが1人で住むアパートに通い、たくさんの会話をしています。そんなある時、次のような話をします。
「うちの家庭って崩壊してるのかな?」
私がプリンにスプーンを突き刺しながら言うと、母さんが目を丸くした。
「どうして? 恐ろしく良い家庭だと思うけど」
「父さんが父さんを辞めて、母さんは家を出て別に生活してる」
坂戸君の言うのが家庭崩壊なら、うちだって立派に崩壊してる。
「でも、みんなで朝ご飯を食べ、父さんは父さんという立場にこだわらず子どもたちを見守り、母さんは離れていても子どもたちを愛している。完璧」
母さんは笑った。
「でも母さんはまたアパートに帰るんでしょ」
「そうよ」
母さんは当然のことのようにあっさりと言った。
私は「家族」って本当に色んな形があると思っています。そして、それでいいと思います。家族はプライバシーの究極的な部分だとも思っていて、外から見ただけでは本当の姿なんて分かりません。いわゆる世間一般的には「普通」に見える家族でも、実は家庭内の会話は無で、家庭内暴力によって家庭崩壊しているかもしれません。その一方で、本作品のように両親は別居していても子供を心から愛し、子供もそれを実感できている、そんな家族だって数多くあるかもしれません。
どういう形が良いか悪いかというのは一概には言えないし、だからこそ色んな形があっていいし、そういう内面的な部分っていうのは外からではなかなか見えにくい部分です。部外者が勝手に踏み込んであーだこーだ言えるものではないと思います。もちろん、命の危険性などがある場合は別の話ですが。
私自身、もともとこういう考えをずっと持っているのですが、これはCLANNADが影響していて、CLANNADにも結構色々な形の「家族」が出てきます。そして、そこに瀬尾まいこ氏が作る物語たちと出合ってより一層強く思うようになりました。瀬尾氏の作品にも、いわゆる「普通」ではない家族の形が描かれていて、でも、「それでもいいよなぁ」と思わせてくれるものばかりなんです。
最後に、佐和子の彼氏「大浦君」と直ちゃんの彼女「小林ヨシコ」がそれぞれいい味を出しています。終盤に「おっと……」となかなか衝撃的な展開を迎えるのですが、それは是非ご一読いただければと思います。
今回はこんな感じです。