見出しからもっとマクロ的な話かと思ったら、すごいミクロで、しかも私の大好きな「名探偵コナン」について語られていて、ワクワクしながら読んでいました。著者の方とほぼほぼ同年代ということもあり、取り上げられていた場面やセリフは全て分かったし、おそらく「名探偵コナン」に対しての世代間ギャップ的なものはないと思われます。
それ前提で、なんか私のコナン歴を語らなくてはいけないような気がしてきたので、ちょっとばかり書きたいと思います。
初めての出会いは……正直覚えていません。はい。テレビ放送に関しては何話目から見始めたかというのも覚えていないけれど、初めての前後編作「豪華客船連続殺人事件」(22〜23話)をリアルタイムで見ていた記憶ははっきりとあります。あれです、デッサンの時に消しゴム的な役割をするもののカス(パンだったかな?)が犯人の決め手になった事件ですね。
それ以降はそれこそ高校生、大学生、そして社会人になった今でも見続けています。ちなみに私はHuluに加入していて、じゃあその月額の元が取れるくらい動画を見ているのかというと全然そんなではないけど、コナンを1話からほぼ全て視聴できるので、そのために加入し続けていると言っても過言ではありません。
原作の方は、実は全巻持っているわけではなく、最初の方は当時通っていた児童館の図書室で読んでいました。その後、自分のお小遣いでもコンスタントに買えるようになってから集め始めたので、15巻から最新刊までという若干中途半端な揃え具合ではあります。
そして映画は、「探偵たちの鎮魂歌」以外は全て映画館で鑑賞しています。一番好きな作品は「天国へのカウントダウン」です。
ザッとこんな感じですかね。「名探偵コナン」とは長い長い付き合いです。
さて、冒頭の記事を読んで、大方納得できるというか、あぁ、昔は確かにこんなんだったよなーなんて懐かしくなりました。ただ、決定的に違うなぁと思ったことは、新一×蘭の恋愛事情に対するスタンスですかね。
キャラが魅力的で事件の展開がおもしろいのはもちろんだけど、わたしが夢中になったのはやっぱり、蘭と新一の関係性が好きだったからだと思う。
蘭にとって新一は「いつも一緒にいたのに突然いなくなってしまった幼馴染」であり、コナン(新一)にとって蘭は「いつもとなりにいるのにそれを伝えられないもどかしい相手」。
ピンチのとき、蘭が求めるのは新一。
でも新一は、「コナン」としてしかそばにいられない。
そんなコナンに新一の面影を見出す蘭。
お互いのことを大好きなくせに素直になれない、たまに話しても憎まれ口ばっかり、でもやっぱりしょっちゅうお互いのこと考えていて……という、甘酸っぱくて切ない関係にキュンキュンしていたのだ。
分かります。すごいよく分かります。しかし、批判するつもりは毛頭ないけど、私はこの関係性については重要視していないんですよね。というのも、そもそも好きなキャラが灰原哀ってのもあるけれど、当時から特に感情移入できなかったというのが大きくて(小学生だったからかな)、確かに新一×蘭はベストな組み合わせだとは思うけれど、それ以上でもそれ以下でもないという感じです。
むしろ、個人的にはコナン×哀の方が気になってはいるんですけど、でも結局のところ、内容が面白いかどうかを最重要視している気がします。「いやいやいやーこんなトリック無理だろー!」ってツッコミを入れながら読む(見る)のが好きです。
コナンの連載がはじまった当初は携帯電話なんてないから、姿を消したら連絡が取れないのがふつうだった。
だから蘭は新一が帰ってくるのをひたすら待つしかなかったし、公衆電話から時折かかってくる新一からの電話に一喜一憂する。
そばにいたいのにいられない。
そばにいるのに伝えられない。ああ無情。
だがそれも、今は昔の話。
だいぶ前から蘭もコナンもお互いスマホをもっていて、その気になればいつでも連絡できるようになった。
これもすごいよく分かります。やっぱりこれだけ長期連載されていると、その時代時代の特徴を表すものが取り入れられていて、その中でも顕著なのが「電話」の移り変わりだなーなんて思います。
初期の頃は公衆電話や家電が主流で、たまーに阿笠博士が発明した弁当箱型携帯FAXやイヤリング型携帯電話とかが出てきて笑っていたけれども、いつしか携帯電話を持ち始め、そして今ではスマートフォンで連絡を取り合う場面が多くなっています。そういうのを見ると「あぁ、時代は変わっていってるんだなぁ」と思いますけどね。
コナンがスマホで撮った画像を「すぐに調べてくれ!」と灰原に送り付け、灰原は「私はあなたの助手なのかしら?」と皮肉めいたことを言いながらも事細かに調べ上げて報告しているのなんかは日常茶飯事ですし、いくつか前の映画はIoTが事件の鍵を握っていたんですから、そりゃー歳も取るわけですわ。
そんな感じで「電話」の本体、そして役割なんかも次々と移り変わっていくので、なんなら「「名探偵コナン」における「電話」の移り変わりとその重要性」みたいな題名で論文が1本書けちゃうんじゃないかってくらいのスケールだと思っています。
なんども書くけど、わたしはいまのコナンも好きなんだ。
でもそれはあくまで「あのときのコナン」があったからで、それはもうなくなっちゃって……。ああ、悲しい!
「大人」たちは、こんな気持ちとどうやって向き合ってきたんだろう?
「名探偵コナン」の歴史において、著者の新一×蘭の関係性に感じている「あのときのコナン」への懐かしさ、そしてなくなってしまったことへの悲しさみたいな気持ちはないのだけど、それに近いものとしては、毛利小五郎の声優さんが変わってしまったときかもしれません。あれはなかなかにショックでした。
でも、新しい声優さんこと小山力也氏はさすがプロ、でした。私はほとんど違和感なく受け入れることができたし、そりゃまぁ、神谷明氏の毛利小五郎をもう聞けないのか…と残念な気持ちはあったけど、もう変わってしまったことはしょうがないし、名探偵コナンが好きという気持ちは変わらないから受け入れようと切り替えました。新しいコナンを楽しもう、と。そんなんだった気がします。
「名探偵コナン」についてはまだまだ色々と思いがあるけど、今回はこんな感じです。