kmpen148のいろいろ

日常生活の雑感を書き出しています。備忘録的役割。

こうして積読が増えていくのでしょう

 先日勢いに任せてヨドバシさんでChromebookを注文しました。注文時に「お取り寄せ」状態だったのですが、それでもいつも2〜3日程度で発送してくれるので、今回もその程度だろうと思っていたんですよね、だけど、完全に見誤りました。もうそろそろ1週間経ちますが未だに発送されていません。あぁ、この三連休で遊ぶ予定だったのに…。ま、気長に待つしかないですね。


 さて、話は変わりまして、Amazonでこんなキャンペーンをやっていたのでとりあえず199円なら……と登録してみました。

 通常は1ヶ月で980円なのでこれは破格のキャンペーンだと思います。ジュース1本半の値段で対象書籍が読み放題になります。ただ、普段から速読多読をしている方々は本当に色んな本が読めると思うんですけど、「多読したいけど遅読」の私には3ヶ月だと読める量ってせいぜい限られてくるかなーと思いますね。


 私はあまりジャンルに拘らず、小説やノンフィクションに手を出すようにはしています。とは言っても経済的に買える本は限られているので、特にノンフィクション系はやっぱり趣味や元々持っている問題意識に繋がるものが多いんですけど、読むのにそこそこ、ものによってはかなりの時間を要してしまうんですよね。

 これはもう意識の問題ですけど、1回読んだだけでは内容を全て理解するなんてことはできないんだから…と頭では分かってはいても、できる限り多くのことをまとめて理解したいという葛藤があります。
 まぁでも、読書の時間って自分にとっては「趣味」の範囲なので、無理に読み方を変える必要もないんだよなーという感じです。

 読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れこんでくる。ところが少しの隙もないほど完結した体系とはいかなくても、常にまとまった思想を自分で生み出そうとする思索にとって、これほど有害なものはない。

食物をとりすぎれば胃を害し、全身をそこなう。精神的食物も、とりすぎればやはり、過剰による精神の窒息死を招きかねない。多読すればするほど、読まれたものは精神の中に、真の跡をとどめないのである。つまり精神は、たくさんのことを次々と重ねて書いた黒板のようになるのである。したがって読まれたものは反芻され熟慮されるまでに至らない。だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。

(引用:ショウペンハウエル/斎藤忍随訳『読書について 他二篇』岩波文庫、2016年(電子書籍)。)


 上2つは『読書について 他二篇』からの引用ですが、どれだけ読んでもそれで終わらせていたらあんまり意味がなくて、そこから「何を考えるか」ってことの方が大切ですよってことが言われているんだと思います。

 もちろん、いやいや多読速読の方が良いに決まってるじゃんって考えの方はいると思うし、それを否定するつもりもありませんが、結局のところ、「考える」って行動が重要なんだと思います。「3年A組」でフォーカスされていた「Let’s think」ですね、このドラマについては以前記事に書いています


 いっぺんにダウンロードするのは10冊までのようで、早速前々から気になっていた『仕事は楽しいかね?』シリーズをダウンロードしておきました。結構色んなブログで引用されていたので読んでみようと思っていたんですよね。この3ヶ月の間に読み切れればまぁ元は十分に取ったと言えるでしょう。
 他にもいつかダウンロードしてみたので合計で7冊になりましたが、果たしていくつ読み切れるでしょうか…。


 そんなことより早くChromebook来てくださいお願いします。以上です。