kmpen148のいろいろ

日常生活の雑感を書き出しています。備忘録的役割。

情報の受け取り方はコントロールできるはずです

 以前、こんな記事を書きました。


kmpen148.hatenablog.jp


 あの頃は緊急事態宣言が出された時期で割と手当たり次第に情報を貪っていたんですけど、某ポータルサイトのコメントだとかTwitterとか見まくっていたら段々と嫌気がさしてきたんですよね。

 私としてはストレスにはそれなりに耐性があると思っていたんですけど、なんかもうね、毎日のスキあらばコロナウイルス関連の情報をぶっこんでくるニュース番組とか、政府の批判を好き勝手言いまくるワイドショーとか、勝手な推測で不安を煽りまくる某ポータルサイトのコメントやツイートとかを浴びていたらさすがに嫌気が指してきましたね。
 そんな情報掻き集めたところで今の状況が好転するわけではないですし、最近では意識的に遠ざけています。


 こんな感じだからあんまり負の情報を集めすぎても意味無いよなぁ、ストレスコントロールした方がいいよなぁ、って話を上の記事で書いています。


 最近はまた状況が悪化してきているようで、こういう時ほど負の情報って目につきやすくなるんですよね。
 まぁ、私としてはその時の経験があるので最近の新規感染者数を見ても「ふーん、そうなんだ」くらいにしか思えないんですけど、下手に情報を掻き集めない方がいい時期だとは思っています。それに付随するコメントなんて以ての外です。

 大体、新規感染者数を知ったところで私は東京都の政策を考える立場の人間ではないですから、自分の予防を徹底するしかないんですよね。それには感染者数なんてほとんど関係ないかな、と。


 私の尊敬する松井秀喜氏は著書『信念を貫く』(新潮新書、2010年)でこんなことを言っています。

 自分がコントロールできることとできないことを分けて考えなければいけません。そして、コントロールできることについては、結果につなげるべく努力をします。
 例えば、打席に入ってからは自分でコントロールできます。相手投手のどういうボールを待って、どう仕留めていくか。それは基本的に僕自身に決定権があります。いいバッティングができるよう、心も体もコントロールすべく努力できます。
 でも、試合に出る、出ないを判断するのは監督であり、コーチです。僕に決定権はありませんから、これはもう仕方がないことです。割り切るしかありません。

松井秀喜『信念を貫く』新潮新書、2010年、56頁。)


 この考え方を今回の負の情報云々に当てはめてみると、「メディアが情報を流すこと」はコントロールができません。仮に会社に「こんな情報を流すな!」と苦情を入れても「はいはい」と流されてしまって終わりでしょう。そんな視聴者の心情に寄り添った報道なんてしないで、不安を煽るような報道をした方が「ウケ」がいいですからね。ですので、これに関しては「コントロールができないこと」ととして割り切るしかありません。

 しかし、「情報の受け取り方」に関しては「コントロールができること」だと思います。例えばですけど、私は上の記事を書いた頃、LINE NEWSの公式アカウントをブロックしました。あの頃は毎日速報で「何人の感染確認!」と流してくるので嫌でも目に入ってくるのがウザったかったので。他にも、夕方のニュースの時間帯は録画していた番組を見る、休日も基本的にはHuluを流す、Twitterは見ない(アプリはホーム画面の目に付かないところに移動しておく)など極力負の情報を見ないように環境整備をしていました。

 最近また負の情報を多く見かけるようになってきたので、ちょいとまた環境整備はしといた方がいいかなーとは思っています。こんな情報集めに勤しむくらいなら、積読している本を読むとか、ゲームに没頭するとか、子供と遊びまくるとかもっと有意義な時間を過ごしたいですよね。


 今回はこんな感じです。

kmpen148.hatenablog.jp
kmpen148.hatenablog.jp
kmpen148.hatenablog.jp