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日常生活の雑感を書き出しています。備忘録的役割。

【読了】『デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する』

読了:カル・ニューポート/池田真紀子訳『デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する』早川書房、2019年。


 読み終わってから多少日が経ってしまったのでもういいかなーなんて思っていたのですが、もしかすると今の状況に結構必要なことなのかも…?と思うようになったので書いてみました。


 「デジタル・ミニマリスト」とは、デジタル・ミニマリズムという哲学に基づいて行動する人のことですが、その哲学はこう定義されています。

デジタル ・ミニマリズム
自分が重きを置いていることがらにプラスになるか否かを基準に厳選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学 。


 本書ではそうしたデジタル・ミニマリストの実例が紹介されつつ、デジタル・ミニマリストを目指そうとする読者へ「演習」という形で著者が行動の提案をしています。ただ、読んでいる感じだと、著者は決してああしろこうしろと決めつけるのではなく、各自の環境に合わせてこうした方がいい、こういう方法もあるといくつかの道筋を示してくれています。

 その具体例は色々と挙げられていましたが、根本的な部分は「デジタル片づけ」として3つの手順が示されています。

デジタル片づけのプロセス
1 三〇日のリセット期間を定め、かならずしも必要ではないテクノロジーの利用を休止する。
2 この三〇日間に、楽しくてやりがいのある活動や行動を新しく探したり再発見したりする。
3 休止期間が終わったら、まっさらな状態の生活に、休止していたテクノロジーを再導入する。その一つひとつについて、自分の生活にどのようなメリットがあるか、そのメリットを最大化するにはどのように利用すべきかを検討する。


 例えばですが、夜、寝る前の2時間にFacebookで友人の投稿を読み漁って「いいね」を付けたり、コメントを付けたりするのは見直すべき時間であって、その2時間をもっと有意義に(夜の散歩をする、家族とのコミュニケーションを増やすなど)過ごしましょうよ、ということですね。
 この例で言えば、Facebookは「かならずしも必要ではないテクノロジー」となるので、利用を停止してみる対象となります。ただ、じゃあデジタル・ミニマリストを目指す誰もがそうするべきかというとそうではありません。Facebookで仕事を受け付けている人なんかは利用を停止すると生活に影響が出てしまうため、その部分は残すように調整するという感じです。

 ニュースアプリなんかもそうで、「グノシー」や「SmartNews」など様々ありますが、空いた時間の度に見続けていたらそれはやっぱり見直すべきものとなります。これを週1回、決めた時間にだけ(例えば土曜日の朝9時から1時間だけ)見る、というように調整していきます。


 私はどちらかというと「インターネットって素晴らしい」を基本的な考えにしていますが、この「デジタル・ミニマリズム」という考え自体には肯定的ではあります。インターネットを含め、本書で挙げられているテクノロジーにはやっぱり負の部分もあるわけで、その深みに嵌ってしまうような状況なのであれば、それは改善した方が良いとも思います。


 まさに今なんてそうした深みに嵌りやすいんじゃないかと思うわけですよ。テレビを見ていれば新型コロナウイルスの情報ばかりで、毎日毎日何人が感染、芸能人の誰が感染しただとかのニュースばかりだし、行政の「外出自粛」に従っているだけなのに閑散とした風景を映して「異様な光景」の印象を煽ってくるしで、不安を煽るようなものばかり目についてしまいます。

 一方のインターネット界隈も、それ関連の記事がヒットしやすくなっているし、Twitterには勝手な推測で不安を煽るようなツイート、政府批判のツイート、そしてデマ……。いや、決してそういう情報ばかりではないんですよ、笑ってしまうツイートもあるし、ほっこりと癒やされる動画だって流れてくるんです。でも、こういう時ほどどうしてもネガティブな情報に目が行きがちになってしまいます。


 それらを見た時に「はいはい」と言ってスルーできる人はいいんですけど、より不安が募り、精神的負荷がかかってしまう人もいるわけで、こういう時こそデジタル・ミニマリズムの考え方を応用できるんじゃないかなーと思います。

 Twitterを見ると不安が加速してしまうのであれば、タイムラインを整理することもできるし、特定の単語をミュートすることもできます。まぁ、それでもリツイートなんかで回ってくることもあるので、スマホからアプリを消してしまうなんてのも手です。
 アプリ削除だけならアカウントは消えないし、Twitterを見るためにはブラウザやパソコンから見なくてはいけないというちょっとしたひと手間が結果的にTwitterから離れるきっかけになるかもしれません。

 テレビにしても、ニュースやワイドショーがやっている時間帯を避けるとか、録画した番組しか見ないとか、そもそもテレビを見ずに本を読むとかで遠ざけることはできます。


 まぁ、デジタル・ミニマリズムが目指すべき部分はTwitterなんて辞めてしまって、人生を豊かにする行動をしようということなんで、上の対策はちょっとズレているかもしれませんが、普段は何も気にせずに使っていたツールを見直すという作業は繋がる部分があると思っています。それに、現状ではなかなか外には出にくいので、代わりに新しい活動を始めるのも難しい状況ですからね。


 また、結局のところ、できる限りの予防と対策を個人でしていくしかないので、毎日ニュースにかじりついて何人が感染、あそこで死者が…なんて情報を得る必要性はそんなにないでしょう。

 確かに感染者数が日に日に増えている現状では、底知れぬ不安が募っていると思います。だからこそ、「安心」を得ようとより小さな数字を見付けてこようとするんですよね。昨日よりは少ないとか、インフルエンザの死者数の方が多いとか、割合だとまだ数%だとか……。
 これらはそう簡単に比較できるものではないので、まぁ、あんまり意味のないことだとは思うんですけど、私もやってしまいがちではあります。


 先ほども書きましたが、私は基本的には「インターネットって素晴らしい」派なので今後もひたすら使い続けますし、本書では見直し対象になるような使い方もしていくつもりですが、デジタル・ミニマリズムという考え方そのものには賛成なので、頭には残しておきたいと思います。


 今回はこんな感じです。



どうやら記事を100個書いたようです

 例年ならこの時期はプロ野球が開幕して1週間が経とうかという頃なんだけれども、今年はまだまだ開幕を迎えられない状況が続いていますね。いやまぁね、細心の注意を払って気を付けるしかないんだけど、一方でどんなに予防していても風邪やインフルエンザになるときはなってしまうように、実際のところ分からんもんだよなぁ……。


 さて、そんな話題は置いといて、実は私もふと気付いたのですが、前回の記事が100個目の記事だったようです。

 内容的にちょっと湿っぽいものだったので、書く前に100個目ということに気付いていたら敢えて調整したんですけどね。


 はてなブログを始めたのが昨年の6月12日。この日に特に理由はないです。

 あぁ、こんなこと書いていましたね。
 この日から約9ヶ月が経ったわけですが、単純計算で1ヶ月に11本程度の記事は書いていることになります。始める前は、書けても1ヶ月に3〜4本だろーとか思っていたんですけど、なんだかんだ記事を書いてきたなぁ、という印象です。


 でも、こうして書き続けていると足を運んでくださる方も増えてきていて、ここ最近は記事を書いていない日でも平均で20〜30アクセスくらいはある気がします(体感的に)。また、読者になってくださった方も予想以上にいて、というか、開始当初なんて読者になる人がいるなんて思ってもいなかったですし、やっぱりこういうのって嬉しいですね。まぁでもだからといって多分今まで以上に更新回数が増えるとかは無いと思います。はい。


 とはいえ、せっかくなので、カテゴリー別にどんなことを記事にしているのか簡単に書いておきたいと思います。

 おそらく一番適当というか、明確な基準がなくてほとんどの記事を突っ込んでいる気がします。
 日々の生活の中で感じたことや読んだネットニュースで考えたこと、まぁ、いわゆる「日記」に近い位置付けかもしれません。もうちょっと整理し直す必要があるかもしれませんが…。

  • カテゴリー:「雑感」

 もはや、「日常」のカテゴリーと何が違うんだという感じですが、記事を書いていて割と自分の考えを出したなぁというものを振り分けている気がします。ほとんど「日常」と抱き合わせている気もしますが。

  • カテゴリー:「本」

 これは、読んだ本の感想が主ですが、それ以外にも本に関わることを書いている記事を突っ込んでいます。

 読んだら必ず感想を記事にしているわけではありませんが、自分の考えを付け足して膨らませたいなぁとか、頭の中でモヤっている部分を整理するために書こうかなぁとか思ったものについてはなるべく書くようにしています。

  • カテゴリー:「ゲーム」

 カテゴリー名そのまんまでゲームに関わることを書いています。
 「ゲーマー」とまでは名乗れないけど、ゲームはすごい好きで小さい頃から遊んでいるので趣味の1つではあります。数多くのタイトルをプレイするというよりは決まったシリーズを時間をかけてやっている感じです。主なものだと、「モンスターハンター」、「ポケットモンスター」、「ドラゴンクエスト」、「三國無双」あたりですかね。あとはたまーに気になった作品をやっています。

 その中でも「モンスターハンター」だけは、以前So-netブログをやっていた頃から統一したタイトルでプレイ日記的なものを書き続けているので、別カテゴリーも設けています。


***


 これら以外にも「アニメ」や「野球」のように自分の趣味に関わるものや「教育」や「インターネット」みたいに興味のある分野でいくつかカテゴリー分けしております。あんまり細かく分けすぎても振り分けるときに悩むので、ザックリとした分け方にしています。


 また、はてなブログを始めてからはてな内を周遊したり、読者登録させていただいている方の記事を読んだりしてみて、ブログもなかなか楽しいなーと思うようになりました。特に、どちらかというといわゆる「日記」寄りの記事の方が、書き手の人柄や思考が表れているので楽しいですね。


 今回はこんな感じです。



「だいじょうぶだぁ」と言って戻って来られると思っていました


 月曜日の朝、職場で、今週も1週間が始まるなーって気持ちを高めようとしていたちょうどその時に飛び込んできた志村けん氏の訃報。いやもう言葉を失いました。
 新型コロナで入院し、症状が重いという情報の時点で、復帰してもこれまでみたいな活発な行動は難しくなるんだろうとは思っていたけど、最悪の結果になるとは思ってもいませんでした。というか、考えたくもありませんでした。


 私は「8時ダョ!全員集合」の世代ではなく、「バカ殿」や「だいじょうぶだぁ」などを見て笑っていた世代です。「志村!後ろ後ろ!」よりは「アイーン」とか「なんだチミは!ってか?そうです、わたしが変なおじさんです」です。


 バカ殿は小さい頃から見てきましたが、その頃は放送の規制も緩く、各放送では必ずと言っていいほど胸が丸出しになった女性が出てきました。それにドキドキと期待しながらも、家族で見るにはちょっとした気まずさも感じていて、1人で葛藤と戦っていた思い出があります。
 他にも、殿が仕える者と城内で追いかけっこをしたり、枕の下にグラビア写真集を忍ばせてエロい夢を見ようとしたりとネタの根本的な部分は同じで使い回しが多いけれども、演じる人が違うとこうも違う印象になるんだなぁ、と毎回楽しんで見られる番組でした。もうそれが見られなくなると思うとやっぱり寂しいものです。

 だいじょうぶだぁの方も「でしっ!」おじさんや腰を痛めて紐にぶら下がりながら切り盛りする店主、大人気(?)のひとみバァさんと本当に多くのキャラクターを演じ、出演者との掛け合いが面白く印象的でした。こちらもバカ殿と同様に、ネタの根本的な部分は同じなんですよね、だからオチも大体一緒なんですけど、たまにいつもとは違うオチにしていたりして、作り込まれているなーなんて感じていました。

 また、ご自身の舞台もあったし、映画出演なんかも決まっていてこれから先も多くの仕事を抱えていた志村氏の姿を見ているとまだまだ元気な様子でした。

 しかし、そんな志村氏が発症から数日で帰らぬ人になってしまったということで、非常に悲しいし、寂しい気持ちでいっぱいです。これからもまだまだ活躍を見続けられると思っていたので。

 一部の報道では「持病なし」とされていますが、4年前に肺炎を患って禁煙するまでは相当なヘビースモーカーでしたし、今でもお酒が大好きで高頻度で飲み歩いていたようです。最近も胃のポリープの摘出手術をされていました。ご高齢で、長年の生活習慣と術後の身体への負担など、色々な要素が重なり命を落としてしまう結果になったのかもしれません。専門家ではないので推測の域は出ませんが。

 いずれにしても、健康な状態でいることが大切なんですかね。手洗い・うがい、栄養バランスの取れた食事、睡眠時間の確保、ストレス発散などなど…。まぁ、免疫力が高まる的な曖昧な情報に踊らされて納豆を買い占めるよりも、生活習慣を見直す方が大切だとは思います。


 今回の一件で、多くの人々にとってどこか他人事であったものが多少は身近に感じられるようになったんじゃないでしょうか。そうであってほしいですが。
 もちろん他にも多くの方が命を落としていて、それぞれの命の重さは変わらないし、毎日何人が感染、何人が死亡というニュースを見るけれども、やはり多くの人々にとっては「知らない誰か」で、あくまで「他人」であったんだと思います。でも、昔からテレビに出続けていて、つい最近まで元気に過ごされていた超有名人が亡くなってしまったことで、どこかこう…否が応でもより身近に感じられるようになったニュースだったんじゃないかなぁ…。


 世間的には「若者は外出の自粛を!」なんて報道されていて、さも若者が感染源となっているかのような印象ですが、いや確かに実際外出している若者も多いと思いますが、それ以外の世代の外出も多いとは思うんですよね。

  n=1で大変恐縮なのですが、私の近所の銭湯なんかはお年を召された方々が多く出入りしていますし(それこそ自粛前とあんまり変わらない)、開店前の薬局に行列を成している方々の中に若者と言える人はほとんどいません。
 別にどっちの方が自粛が必要だとかそんな話ではなく、全世代、明日は我が身だと思ってできる限りの対策をする必要があるんだと思います。

 多分、テレビで「若者は自粛を!」って報道されればそれ以外の世代は「そうだそうだ!」って声を上げるだろうし、逆に「高齢者は自粛を!」って報道されればやっぱり他の世代は「そうだそうだ!」って声を上げることになるだろうから、そんな水掛け論なんかに参加している暇があったら、自分自身の生活習慣を見直すなどの対策をしましょうよって話です。

 感染した際に自分自身は軽症や無症状で済むかもしれませんが、周りの人に移してしまったらどうなるか分かりません。家族や大切な人に移してしまって、最悪の結果を招く可能性があります。これには世代は全く関係ないですからね。


 あんまりコロナに関することは書くつもりなかったのだけれど、志村氏の件は自分にとってあまりにも大きかったので、頭の中を整理するためにも書き出してみました。
 天国でも色んな人を笑わせていてほしいです。遠い将来(であってほしい)、私も見に行きたいものです。


 今回はこんな感じです。

ギルドカード・MR13〜爆破やられ耐性って便利ですね〜


 この記事で当時はまだ公開されていなかった特殊個体モンスターや追加モンスターの予想を立てていました。


 見事に外れまくっていましたね。

 まずは今月というかつい先日追加された特殊個体モンスター2体ですが、「猛り爆ぜるブラキディオス」と「激昂するラージャン」でした。ラージャンはあり得るだろうなぁーとは思っていたけど、まさかもう1体がブラキディオスだとは思ってもいませんでしたね。1体は古龍だろうと予想していたので……。

 次に4月のマスターランク化されるモンスターはマム・タロトでした。いや、うん、それも有りかなとは思っていたけれども、ゾラ・マグダラオスの立場って一体……という感じになってしまうじゃないですか。
 そして5月の追加モンスター。アルバトリオンでした。古龍種だろうなーとは思っていましたが、こちらも全く頭の中から消えていました。個人的に「スネ夫」ってあだ名以外はあまり印象に残っていなかったんですよね。


 そんなこんなで、早速追加された特殊個体モンスターのうち、「猛り爆ぜるブラキディオス」をやってみました。

 知人と2人(+オトモ)でやったのですが、とりあえずいつも使っている爆破片手剣を担いで様子見に行ってみたら2回もクエスト失敗してしまいました。やっぱり一筋縄ではいかなかったですね。

 なにより粘菌による爆破やられ状態が致命的すぎて、あれを防がないとどうにもならないように感じました。ということで、マイセットに入れていた防具の装飾品を入れ替えて爆破やられ耐性をMAXにし、武器を氷属性のもの(ベリオロスの素材から作れる片手剣)に変更して再挑戦。

 楽勝、とまではいかないけど、無事に討伐できました。有り合わせの防具だったけど、爆破やられ耐性があるだけでだいぶ難易度は違いますね。普段は汎用的な防具セットしか作っていなくて、あんまり各モンスター対策に特化したようなセットって作らないんですよ、面倒臭がりなので。でも、コイツには専用の防具セット作っておかないといけないかなーって感じたので、早速作ってみました。

 普段から付けている匠MAX、攻撃MAXは外せないのでそのままにして、爆破やられ耐性MAX、そしてどこまで効果あるのか計測していないんだけど気休めとして氷属性攻撃4を付けておきました。
 脚はラージャンのして装飾品で弱点特効MAXにもできたのだけれど、ゾーグ装備(悉く滅ぼすネルギガンテ)を2つ揃えると「滅尽龍の覇気」といって継続して攻撃を当てると回復するというスキルもくっついてくるのでそれを優先させました。


 試しにソロで行ってみたけど見事に3落ちしました。はい。でも、戦っている感じはなかなか良かったと思います。あとは私の技術の問題です。


 今回はこんな感じです。



Google Keepの使い道を探っています

 Chromebookの発送まだかなーまだかなーと思っていた矢先、つい先程入荷状況報告なるメールが来ていて、それによると、注文した商品はメーカー側も欠品状態、具体的な入荷予定日は分からん、まだまだ時間掛かるから待っててね、ってことだそうです。

 いやでも確かに、Chromebookを買ってしまおう!というある意味ハイな状態で考えが回らなかったけど、例のアレで中国の工場とかストップしているわけだから商品そのものなのか、部品なのかは知らないけど、どっちみち商品の輸入や製造が追い付いていないってことなんでしょうね。んー、なんかキャンセルしてしまってもう少し様子見たら最新作が登場したり、現在高値な型が安くなっていたりしそうだけど、まぁ、今回はお試しってことで買ってみるだけだからひとまずは現状維持にしときますか。今後、入荷未定があまりにも長引くようならまた考えましょうかね。


 さてさて、最近、メモアプリ「Google Keep」を導入してみたのですが、正直なところ使い道が確立されていません。まぁ、そもそも私自身がプライベートではあまりメモを取らない人間なので、いざ導入してみてもそんなにメモすることもないよなぁって話なんですけどね。

 メモアプリないしそれに近いアプリで使っている(いた)ものとしては、今でも多分代表格である「Evernote」なんですけど、これはもう使っていないですね。使っていた頃のものを見直してみると、論文の下書きとか、当時のブログ(So-netブログ)の下書きとかが残されていました。あとはmixiを退会する際に残しておきたかった日記もいくつかありました。
 しかし、論文も書き上げ、ブログからも離れてしまったことでそのまま使わなくなりました。たまーに、それらを整理して新たな使い道を探ろうかなーなんて思うこともあるのですが、結局手付かずです。


 次に、iPhoneに搭載されている「メモ」アプリです。これもそんなに多くのメモがあるわけではなく、近所の薬局で売られている日用品などの値段を記してあるものくらいです。
 なんでこんなものがあるかというと、私はヨドバシカメラのヘビーユーザーだと思うんですけど、ものによってはヨドバシの方が安いんですよね。ポイントも10%還元、送料も基本的には無料で在庫があれば当日〜翌日には届きます(配達員の方々には頭が上がりません。)。セコいかもしれませんが、どうせ同じもの、同じような性質のものを買うなら安い方で買いたいなーってことです。


 最後に、メモアプリというよりも文書作成アプリかもしれませんが、「Google Document」です。用途としては主に現在のブログの下書きで、他には読んだ本の気になった箇所の引用などです。
 ブログを始めた頃は、書きたいテーマに対してブレーンストーミングのように単語や短文を羅列してから、それらに肉付けをして文章化してくという作業をやっていたんですけど、段々と面倒になって最近ではもう最初から文章を書いてしまっていますね。まぁ、いずれの方法にしても、「Google Document」は文書作成寄りのアプリなので長文とかある程度まとまった文章を残しておくのに使い勝手はいいと思います。


 で、話は戻って「Google Keep」の使い道なのですが、とするとやっぱり日々ぽっと思い浮かんだ考えとか気になったURLなんかをメモっておくことがいいのかもしれませんね。そのためには先に「メモする」という行動そのものの習慣を身につける必要があるような気がします。

 とりあえず、思考メモ、URLメモ(気になったもの、ブックマーク登録するほどでもないけどいちいち検索するのが面倒なもの、あとで読むものetc)、やることリスト的なものと「メモする」行動をしていこうかなーと思います。ある程度使い道が見えたらまた整理し直せばいいのでしょう。
 そうして「メモ」を蓄積させていき、そしてその中から「あーこれはもうちょっと話を膨らませてブログに残しておこうかな」って思考やらURLなんかは「Google Document」に引っ張ってきてブログの下書きをするという流れになるようにしていきたいかな、と。


 余談ですが、「Google Document」でブログの下書きをして、「Google Keep」でメモを取り、ブラウザは「Google Chrome」、キーボードは「Gboard」、行き先は「Google MAP」で調べ、ニュースは「Googleニュース」で集め、そして「Chromebook」にまで手を出し………と割と多くのGoogle関連サービスを使っているのに、スマホiPhoneで「Androidじゃないのかい!」と総ツッコミを入れられそうな私ですが、まぁ、だってなんだかんだでGoogleにまとめると便利なんですもの。Chromebookよ、はよこい。


 今回はこんな感じです。


こうして積読が増えていくのでしょう

 先日勢いに任せてヨドバシさんでChromebookを注文しました。注文時に「お取り寄せ」状態だったのですが、それでもいつも2〜3日程度で発送してくれるので、今回もその程度だろうと思っていたんですよね、だけど、完全に見誤りました。もうそろそろ1週間経ちますが未だに発送されていません。あぁ、この三連休で遊ぶ予定だったのに…。ま、気長に待つしかないですね。


 さて、話は変わりまして、Amazonでこんなキャンペーンをやっていたのでとりあえず199円なら……と登録してみました。

 通常は1ヶ月で980円なのでこれは破格のキャンペーンだと思います。ジュース1本半の値段で対象書籍が読み放題になります。ただ、普段から速読多読をしている方々は本当に色んな本が読めると思うんですけど、「多読したいけど遅読」の私には3ヶ月だと読める量ってせいぜい限られてくるかなーと思いますね。


 私はあまりジャンルに拘らず、小説やノンフィクションに手を出すようにはしています。とは言っても経済的に買える本は限られているので、特にノンフィクション系はやっぱり趣味や元々持っている問題意識に繋がるものが多いんですけど、読むのにそこそこ、ものによってはかなりの時間を要してしまうんですよね。

 これはもう意識の問題ですけど、1回読んだだけでは内容を全て理解するなんてことはできないんだから…と頭では分かってはいても、できる限り多くのことをまとめて理解したいという葛藤があります。
 まぁでも、読書の時間って自分にとっては「趣味」の範囲なので、無理に読み方を変える必要もないんだよなーという感じです。

 読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れこんでくる。ところが少しの隙もないほど完結した体系とはいかなくても、常にまとまった思想を自分で生み出そうとする思索にとって、これほど有害なものはない。

食物をとりすぎれば胃を害し、全身をそこなう。精神的食物も、とりすぎればやはり、過剰による精神の窒息死を招きかねない。多読すればするほど、読まれたものは精神の中に、真の跡をとどめないのである。つまり精神は、たくさんのことを次々と重ねて書いた黒板のようになるのである。したがって読まれたものは反芻され熟慮されるまでに至らない。だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。

(引用:ショウペンハウエル/斎藤忍随訳『読書について 他二篇』岩波文庫、2016年(電子書籍)。)


 上2つは『読書について 他二篇』からの引用ですが、どれだけ読んでもそれで終わらせていたらあんまり意味がなくて、そこから「何を考えるか」ってことの方が大切ですよってことが言われているんだと思います。

 もちろん、いやいや多読速読の方が良いに決まってるじゃんって考えの方はいると思うし、それを否定するつもりもありませんが、結局のところ、「考える」って行動が重要なんだと思います。「3年A組」でフォーカスされていた「Let’s think」ですね、このドラマについては以前記事に書いています


 いっぺんにダウンロードするのは10冊までのようで、早速前々から気になっていた『仕事は楽しいかね?』シリーズをダウンロードしておきました。結構色んなブログで引用されていたので読んでみようと思っていたんですよね。この3ヶ月の間に読み切れればまぁ元は十分に取ったと言えるでしょう。
 他にもいつかダウンロードしてみたので合計で7冊になりましたが、果たしていくつ読み切れるでしょうか…。


 そんなことより早くChromebook来てくださいお願いします。以上です。


「名探偵コナン」における「電話」の移り変わりって結構重要ですよねって話

 見出しからもっとマクロ的な話かと思ったら、すごいミクロで、しかも私の大好きな「名探偵コナン」について語られていて、ワクワクしながら読んでいました。著者の方とほぼほぼ同年代ということもあり、取り上げられていた場面やセリフは全て分かったし、おそらく「名探偵コナン」に対しての世代間ギャップ的なものはないと思われます。

 それ前提で、なんか私のコナン歴を語らなくてはいけないような気がしてきたので、ちょっとばかり書きたいと思います。


 初めての出会いは……正直覚えていません。はい。テレビ放送に関しては何話目から見始めたかというのも覚えていないけれど、初めての前後編作「豪華客船連続殺人事件」(22〜23話)をリアルタイムで見ていた記憶ははっきりとあります。あれです、デッサンの時に消しゴム的な役割をするもののカス(パンだったかな?)が犯人の決め手になった事件ですね。
 それ以降はそれこそ高校生、大学生、そして社会人になった今でも見続けています。ちなみに私はHuluに加入していて、じゃあその月額の元が取れるくらい動画を見ているのかというと全然そんなではないけど、コナンを1話からほぼ全て視聴できるので、そのために加入し続けていると言っても過言ではありません。

 原作の方は、実は全巻持っているわけではなく、最初の方は当時通っていた児童館の図書室で読んでいました。その後、自分のお小遣いでもコンスタントに買えるようになってから集め始めたので、15巻から最新刊までという若干中途半端な揃え具合ではあります。

 そして映画は、「探偵たちの鎮魂歌」以外は全て映画館で鑑賞しています。一番好きな作品は「天国へのカウントダウン」です。


 ザッとこんな感じですかね。「名探偵コナン」とは長い長い付き合いです。


 さて、冒頭の記事を読んで、大方納得できるというか、あぁ、昔は確かにこんなんだったよなーなんて懐かしくなりました。ただ、決定的に違うなぁと思ったことは、新一×蘭の恋愛事情に対するスタンスですかね。

キャラが魅力的で事件の展開がおもしろいのはもちろんだけど、わたしが夢中になったのはやっぱり、蘭と新一の関係性が好きだったからだと思う。


蘭にとって新一は「いつも一緒にいたのに突然いなくなってしまった幼馴染」であり、コナン(新一)にとって蘭は「いつもとなりにいるのにそれを伝えられないもどかしい相手」。


ピンチのとき、蘭が求めるのは新一。


でも新一は、「コナン」としてしかそばにいられない。


そんなコナンに新一の面影を見出す蘭。


お互いのことを大好きなくせに素直になれない、たまに話しても憎まれ口ばっかり、でもやっぱりしょっちゅうお互いのこと考えていて……という、甘酸っぱくて切ない関係にキュンキュンしていたのだ。

 分かります。すごいよく分かります。しかし、批判するつもりは毛頭ないけど、私はこの関係性については重要視していないんですよね。というのも、そもそも好きなキャラが灰原哀ってのもあるけれど、当時から特に感情移入できなかったというのが大きくて(小学生だったからかな)、確かに新一×蘭はベストな組み合わせだとは思うけれど、それ以上でもそれ以下でもないという感じです。

 むしろ、個人的にはコナン×哀の方が気になってはいるんですけど、でも結局のところ、内容が面白いかどうかを最重要視している気がします。「いやいやいやーこんなトリック無理だろー!」ってツッコミを入れながら読む(見る)のが好きです。

コナンの連載がはじまった当初は携帯電話なんてないから、姿を消したら連絡が取れないのがふつうだった。


だから蘭は新一が帰ってくるのをひたすら待つしかなかったし、公衆電話から時折かかってくる新一からの電話に一喜一憂する。


そばにいたいのにいられない。


そばにいるのに伝えられない。ああ無情。


だがそれも、今は昔の話。


だいぶ前から蘭もコナンもお互いスマホをもっていて、その気になればいつでも連絡できるようになった。

 これもすごいよく分かります。やっぱりこれだけ長期連載されていると、その時代時代の特徴を表すものが取り入れられていて、その中でも顕著なのが「電話」の移り変わりだなーなんて思います。

 初期の頃は公衆電話や家電が主流で、たまーに阿笠博士が発明した弁当箱型携帯FAXやイヤリング型携帯電話とかが出てきて笑っていたけれども、いつしか携帯電話を持ち始め、そして今ではスマートフォンで連絡を取り合う場面が多くなっています。そういうのを見ると「あぁ、時代は変わっていってるんだなぁ」と思いますけどね。

 コナンがスマホで撮った画像を「すぐに調べてくれ!」と灰原に送り付け、灰原は「私はあなたの助手なのかしら?」と皮肉めいたことを言いながらも事細かに調べ上げて報告しているのなんかは日常茶飯事ですし、いくつか前の映画はIoTが事件の鍵を握っていたんですから、そりゃー歳も取るわけですわ。

 そんな感じで「電話」の本体、そして役割なんかも次々と移り変わっていくので、なんなら「「名探偵コナン」における「電話」の移り変わりとその重要性」みたいな題名で論文が1本書けちゃうんじゃないかってくらいのスケールだと思っています。

なんども書くけど、わたしはいまのコナンも好きなんだ。


でもそれはあくまで「あのときのコナン」があったからで、それはもうなくなっちゃって……。ああ、悲しい!


「大人」たちは、こんな気持ちとどうやって向き合ってきたんだろう?

 「名探偵コナン」の歴史において、著者の新一×蘭の関係性に感じている「あのときのコナン」への懐かしさ、そしてなくなってしまったことへの悲しさみたいな気持ちはないのだけど、それに近いものとしては、毛利小五郎の声優さんが変わってしまったときかもしれません。あれはなかなかにショックでした。
 でも、新しい声優さんこと小山力也氏はさすがプロ、でした。私はほとんど違和感なく受け入れることができたし、そりゃまぁ、神谷明氏の毛利小五郎をもう聞けないのか…と残念な気持ちはあったけど、もう変わってしまったことはしょうがないし、名探偵コナンが好きという気持ちは変わらないから受け入れようと切り替えました。新しいコナンを楽しもう、と。そんなんだった気がします。


 「名探偵コナン」についてはまだまだ色々と思いがあるけど、今回はこんな感じです。