kmpen148のいろいろ

日常生活の雑感を書き出しています。備忘録的役割。

ドラマ「3年A組」を通して考えたこと

以前、「3年A組-今から皆さんは、人質です-」というドラマがありました。気にはなっていたのですがリアルタイムでは見ていなかったので、Huluで一気見をした口なのですが、非常に筋の通った良いドラマだと思いました。


ここから先はネタバレを含みますので、これから見ようとしている方はそっとブラウザの戻るをクリックしてください。


さてさて。


すっごい簡単なあらすじですが、主人公・柊一颯(菅田将暉)が担任をするクラスの生徒・景山澪奈(上白石萌歌)が自殺。半年後の卒業式10日前、柊は「今から皆さんには、人質になってもらいます」と生徒に告げ、教室に閉じ込めてしまう。そこで、景山の自殺の原因、そしてそれを引き起こした「犯人」は誰なのかということを考えさせる。同時に、もうこのようなことは起こってほしくないという一心で生徒に「授業」を行う、恐怖あり、笑いあり、感動ありのドラマ…。


いやー前々から自覚していますが、私はあらすじを書くのが本当に下手くそです。このドラマの様々な背景や状況をごっそりと削ぎ落としているので、改めてあらすじを確認されたい方は公式ホームページでご確認いただけると幸いです。

ちなみに、柊先生はこの「授業」の様子を作中SNS「マインドボイス」にネット配信して、マインドボイス民(マイボイ民)の反応も観察しています。Twitterみたいなものですかね、実に現代的な表現です。


先に結論を書いてしまいますけど、景山澪奈の自殺の原因は、水泳部のエースでオリンピック候補だった景山がドーピングしているというフェイク動画がネット上に拡散され、誹謗中傷を受け、クラスからもそのネタを基にいじめられてしまったことです。
そして、柊先生曰く、景山の自殺を引き起こした「犯人」は、ネット上でフェイク動画に踊らされて心無い誹謗中傷を景山に浴びせた「マイボイ民」たちということです。

最終回まで犯人は誰でしょう、犯人は誰でしょうって引っ張ってきて、最終回でやっとこの「犯人」が明かされるわけですが、見ている側としては大体見当はついていたのではないでしょうか。

このドラマが視聴者に1つのメッセージを伝えているとすれば、「ネットの怖さ」ということになると思うのですが、実に捻りのない、ど直球な結論です。ただ、私はこれで良かったんじゃないかと思っています。

正直なところ、ご都合主義的な展開もあったし、そもそもこんな方法で閉じ込める必要あるのかと疑問も抱いて見ていました。しかし、主人公である柊先生の行動は一貫していましたし、作品として伝えたい部分も一貫して筋が通っていたように思えます。変に牽制したり、間を開けたりしないで、とにかく豪速球なストレートを投げているような良作でした。


ところで、先程このドラマのメッセージは「ネットの怖さ」だと言いましたが、個人的にはそこよりも、柊先生が生徒に向けてよく言っていた

「Let’s think.」
(柊先生的に翻訳すると「考えろ」ですかね?)

という言葉に尽きると思っています。


私は「考える」ことってすごい大切だと思っているんですね。それこそ中学生の頃からでしょうか。よくプロフィール的なものに「好きなことは?」みたいな項目があると、「考えること」って書いてきました。いや、もちろん時期によってはアニメだとかゲームだとかも書きましたが。


世の中、インターネットで調べれば何でも出てくるような時代になりました。これは決して悪いことではないと思います。しかし、あまりにも多くの情報が飛び交い、それら全てを吟味している時間もないというのが実情ではないでしょうか。

これは私も経験がありますが、選択肢が多すぎるとより簡単にまとめられている情報を選んだり、「あー、もうこれでいいや」って思考停止状態になったりします。そうなると、「考える」ということを放棄し、与えられた情報の真偽を確かめもせずに鵜呑みにしてしまうこともあるのですが、後々調べたらそれが実はデマだったなんてことも。


ドラマの中で柊先生も言っていましたが、「グッ、クルッ、パッ」と一歩踏みとどまって考える。簡単なようで習慣化されていないと難しいです。

SNSを例にしてみても、送信ボタン1つで瞬時に投稿できてしまうために、その投稿によってどんなことが起こり得るかを「考える」ことって意外と抜けてしまっているのではないでしょうか。
SNSやブログで書いたことが炎上して、「こんなことになるなんて思わなかった…」となっている実例はたくさん見てきました。まぁ、色々とありますよね。客観的に見ると、「いや、ちょっと考えれば分かるんじゃ……」と思ってしまいます。


また、何もSNSに限らずとも、仕事でも「考える」ことが抜けているのでは…と思えてしまうことがあります。

私は職場でよく書類作成や調査の取りまとめをすることがあるので、該当部署にそれらを振り分けるのですが、提出された書類にちょっと疑問があって担当者に聞くと、「去年もそう答えていたので」とか「ずっとこう回答しているので」と言われることがたまにあります。いわゆる前例踏襲っていうやつですね。私自身、別に前例踏襲を否定するつもりはないですし、業務効率化の一役を担っていると思っています。私もよくやりますし。

ただ、それでも、なぜその数値や説明が出てくるのかであったり、そもそも前例踏襲で済ませていい案件なのかだったりを考えることは大切なんじゃないかなーと。担当者である以上は。

でも、一方で「考える」って結構労力も使いますし(それこそSNSの投稿全てをそんな感じで考えることなんて正直やってられない)、そもそも「考える」ための基礎知識も必要なわけでして。

足し算引き算ができるようになった子供に、何の説明もなしに「はい、じゃあ分数やってみよう!でも、自分で考えてね!」はさすがに無理です。
そこはやはり、分数は何を表していて、分母・分子というものがあって……とある程度の基礎知識がないと考えることはできないと思います。

そういった基礎知識を与えるのは、学校であれば教師、職場であれば上司や先輩、家庭であれば親の役割といったところでしょうか。


色々と書いてきましたが、結局のところ、私個人としては3年A組を通してネットの怖さよりも「考えることの大切さ」を再認識し、でも、「考える」ためには一定の基礎知識も必要だよなーこの辺のバランスって難しいなーってことです。

長くなりました。今回はこんな感じです。