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【感想】『温室デイズ』

読了:瀬尾まいこ『温室デイズ』角川文庫、2009年(電子書籍:Doly)。

温室デイズ (角川文庫)

温室デイズ (角川文庫)


久々に読み返しました。他に読み途中の本があるのですが、なんだか急に読みたくなったんですよね。しかも、自宅に文庫本があるにもかかわらず、電子書籍を購入しました。

「好きな小説を3つ挙げて」と問われれば、この『温室デイズ』はその1つに入るのですが、もうずっと読んでいなかったので内容はほとんど覚えていませんでした。初めて読んだのは大学1年か2年の頃だったと思います。それ以降、人からおすすめの本を聞かれた際には必ずこの作品を挙げていました。まぁ、実際に読んでもらえたのかどうかは知りませんが。

また、瀬尾まいこ氏は私の好きな作家さんの1人、というより一番好きな作家さんです。瀬尾氏自身が元国語の教師ということもあって文章が非常に綺麗で整っているため、頭の中にすーっと入ってきて、ストンとはまり込む感じが魅力だと思っています。

 教室に紙飛行機が飛びはじめる。保健便りやPTA総会のお知らせが、親元に届くことなく折り紙になっていく。押しピンを投げて壁に刺すという遊びが流行りだす。そのうち、押しピンは教室の壁だけじゃなく、天井にも刺さり、廊下の床にも散らばりだす。禁止されているのに、自転車登校の生徒がちらほら出てくる。
 始まりの合図だ。もうすぐ崩れだす。この兆しを見逃すとだめだ。今なら簡単に元に戻せる。だけど、今手を打たないと、取り返しがつかないことになる。この後は割と速い。元に戻すのには半年以上かかるけど、崩すのには二週間とかからない。

物語の冒頭ですが、題名との温度差を初っ端から叩き付けられたような感じです。表紙の絵柄から「温室=学校」ということは何となく想像できたのですが、もっと暖かいハートフルな物語なのかと勝手に想像していただけに、いきなり学級崩壊を予感させるような冒頭。ということはおそらく「いじめ」もあるんだろう……と。


本作は交互に登場人物である「みちる」と「優子」の視点で語られていきますが、簡単に言ってしまうと、「学級崩壊」「いじめ」がテーマの物語です。

2人が通う宮前中学校では徐々に学級崩壊が進んでいました。窓は割られ、教師の車は傷付けられ……そんな中であることがきっかけで優子が一部の女子から嫌がらせを受けるようになります。それに怒りを感じたみちるは終礼でこんなことを言います。

「あの、私がこんなこと言うのも、何か変なんだけど、今、この学校ってちょっとやばいって思うんです。来週には文化祭だし、そろそろうちらのクラスだけでも、ちゃんとしたらいいんじゃないかなって気がするんです。なんていうか、もう少しまともな感じになるっていうか。中学校最後の文化祭はやっぱり成功させたいし、クラスに困っている人がいるのも嫌だし、みんながちょっとがんばったら、きっとなんとかできるんじゃないかなって」

しかし、それを間近で見ていた優子は次のような心境でした。

 絶望的だ。私はみちるを見られなかった。こんなの最悪なやり方だ。みんなの前で公言してしまったら、逃げ道がない。私が一部の女子に嫌がらせを受けるのとはわけが違う。みちるは本当にばかだ。田中先生だって、そう思ってる。だから、みちるが正しいことを言ってるのにもかかわらず、困った顔をして「まあそうだな」としか言わないのだ。

ここに至るまでは明確な「いじめ」はなかったようですが、学校のあらゆるものが壊されていたため、そろそろ対象が「人」になるのではないかと危惧する描写もありました。おそらくそういう状況もある中で、みちるの発言が引き金となってしまったのでしょう。
そしてここからみちるへのいじめが始まっていきます……。

 翌日からはお決まりのパターンで進んでいった。いじめにはある種の型があるのか、同じことが繰り返される。
 みちるの教科書がなくなる。授業が終わった後、出てくる。みちるの持ち物がつぶされ、みちるに物がぶつけられる。休み時間にはわざとらしく、男子がみちるにぶつかり、押し倒される。みちるは何の反応も見せずに、それらに対処していた。
 不良がやることには加担していなかった普通の生徒たちも、いじめには参加する。いじめは単純に楽しいし、内申にだって響かない。そのせいで、みちるは休憩する間もなかった。いつも誰かから嫌がらせを受けていた。
(中略)
 みちるが信頼している田中先生だって、当てにならない。みちるが一人で教室掃除をしていても、何も言わない。今、みちるに手を貸すと、面倒なことになる。先生だってわかっているのだ。
 私は、何度かみちるに声をかけようとした。一緒に隠されたものを捜そうとした。だけど、実行できなかった。みちるが助けを求めてこないのをいいことに、何もできなかった。

こうした一連の流れにある種の生々しさを感じるのですが、それらをみちる本人の視点ではなく、優子の視点から淡々と語らせているからということもあるのかな。

こうして連日みちるへのいじめは続くのですが、助けたくても助けられない優子はそのことで気が病んでしまい、教室に行かなくなり、保健室登校に、そしてそれもやめて母親が勧めた「学びの部屋」というフリースクールやカウンセリングに通うようになります。

一方のみちるは、いじめに耐えながら毎日登校を続けていました。私が初めてこの作品を読んだ際に考えさせられた場面があるのですが、ある時のみちると臨時教員の吉川先生との会話です。

「もうさ、学校なんて来なきゃいいのに」
「へ?」
「もう、学校なんか来なくたっていいのに」
「どうして? どうしてそんなこと言うの?」
 吉川の言葉に私は驚いて振り返った。
「そんなにつらくて悲しいんだったら、やめてもいいんじゃないかなって思う」
「やめるって何を?」
「何をって、学校とか、教室行くのとかさ」
 吉川は頼りない口調で言った。
「どうしてみんなそんなこと言うのよ」
「え?」
「どうしてみんなそんな風に言うの? 優子も先生も、教室行かなくたっていいって。学校なんて休めばいいって。どうして? だって、私何も悪いことしてないんだよ。病気にもなってない。なのに、どうして教室に行くの、放棄しなくちゃいけないの? どうして普通に教室に行けないの?」
 私の声はしんとした校舎に大きく響いた。
「そんなにひどい目に遭わされるんだったら、無理しなくてもいいんじゃないかなって思っただけだよ」
 吉川は静かな声で言った。
「そういうの、すごく変だよ。学校に行かなくても大丈夫なようにするのが先生なの? つらいことがあったら、逃げ場を作ってあげるのが先生たちの仕事なの? そんなんじゃなくて、ちゃんとみんなが普通に教室で過ごせるようにしてよ。私は、先生に教室に行こうよって言ってほしい。ちゃんと学校に来いよって言ってほしい」

長くてすいません。でも、これは考えさせられました。
私は学校なんていざとなったら逃げたって構わないと思っています。思い詰めて精神的に病んだり、最悪の場合自殺したりしてしまうくらいなら行かなければいい、むしろ、なぜそうしないのだろうか、と。
ただ、これは自分がみちるのような立場になったことがないからそう思っていたんだな…って気付かされました。一応、何不自由なく学校生活を送れていたので、そもそも「逃げよう」なんて思ったことはありませんでした。

「いじめ」さえなければ学校に行きたい。なのに、その「いじめ」を取り除こうとするのではなく、「休んでいいんだよ」と逃げ道を示す先生……。
子供にとって「学校」は家庭以外では唯一の生活の場で、良くも悪くもそこに固執せざるを得ないのだと思います。大人であれば今いる職場が嫌なら自分の意志で転職することができます。しかし、子供は自分の意志だけではどうにもならないことがあります。だからこそ周りは言葉だけでなく、場所としての「逃げ道」を作ってあげることが大切だとは思うんですけどね…。

物語の終盤ではみちるが「学校」のことをこんな風に言っています。

 教師の言うように中学校は温室かもしれない。どれだけひどい行動をしようとも、学校の枠から外れても、私たちは学校に守られている。ドロップアウトしたって、次のクッションを与えてくれる。でも、決して居心地がいいわけじゃない。どんな状態であろうとも、望もうが望まなかろうが、この空間で毎日を送るしかないのだ。本気で自分から断ち切らない限り、この温室で生活するのが私たちの日々なのだ。

「温室」って何とも言えない表現だなぁ、と。

最終的には優子が学校に来るようになったこと以外はほとんど何も変わらないので、到底ハッピーエンドとは言えない作品です。しかし、決して後味の悪い話でもないかなー、と私は思いました。

ところで、「いじめられてもそれに耐えて学校に行くみちる」と「助けたいのに何一つできないことが辛くて学校に行くのをやめた優子」、もっと簡単に言うと「逃げなかったみちる」と「逃げた優子」とでうまく対比されていますが、この背景には彼女たちの小学校時代の経験があります。

実はこの2人、小学校時代にも学級崩壊を経験しています。その際は、優子がいじめにあっていて、みちるはむしろいじめる側でした。それなのになぜ中学校で友達になっているのか……ということについては割愛させていただきます。
この辺の事情も知ると彼女たちの行動の根幹部分が分かると思いますので、ぜひお読みいただければなぁ、と思う次第です。ここまでネタバレ満載で書いてきましたが。


今回はこんな感じです。