kmpen148のいろいろ

日常生活の雑感を書き出しています。備忘録的役割。

何でも検索できる世の中になったけども

ありとあらゆることを検索できるようになった世の中ですが、本当に便利ですよね。


何か気になったことや分からないことがあるとき、サッとスマホを取り出してGoogleさんなり、Yahooさんなりの検索バーにキーワードを打ち込めば、信憑性はともかくとしても、関係するサイトがズラーッと出てきます。


私もゲームの攻略法、選手の過去の成績、旅行先でのよさげなカフェなどなど、存分に活用しているのですが、本当に大量の情報が検索結果として出てきます。

ただ、検索キーワードが一般的(「京都 カフェ」みたいなの)だと、あまりにも大量すぎて選択機能が停止しかけます。

それこそ、検索結果1ページ目の、上から3番目くらいまでのサイトを読んで終わり、ということもよくあります。まぁ、余程のことがない限り、10ページ目や20ページ目の検索結果ページまでは読まないですよね。場合によっては、検索キーワードと関連性の薄いサイトも交じっていますし。逆にそういうサイトを読んでみると思いのほか面白いのかもしれませんが…。


話が脱線しかけましたが、よくインターネット上の情報は信憑性に欠ける、と言われることがあるじゃないですか。

確かに震災時のフェイクニュースで大騒ぎになったり、すごい共感を得て話題になった画像が実は合成画像だったり、いわゆるインターネット上の「デマ」に関する情報ってテレビでもよく聞きますよね。

ただ、個人的には、インターネットがここまで台頭してきている今でさえ、「インターネット vs テレビ」という対立構図が色濃く残っているように思います。もしこの前提が正しいとすれば、テレビ側からすると「敵」であるインターネットの良いところをわざわざ取り上げるわけがないのではないか、と。

極端かもしれませんが、100個の情報があるうち「デマ」が1個だとしても、テレビ側としてはその「デマ」があたかもインターネット全体の問題のように取り上げ、「インターネット上には「デマ」が大量にあります。注意しましょう。」みたいな論調になる。

いや、当然、その「デマ」によって被害があった人にとっては堪ったもんではないのですが、せめて最後に「インターネット上には正しい情報もたくさんあります。よく考えて判断しましょう。」くらいの一言はあってもいいのではないかなー、とか思うのです。


テレビに対してはそんなことを思う一方で、私は、インターネット上の情報は基本的には信じる、というか、一旦は書いてあるまま受け取るというスタンスで見ています。

そもそも、情報を知りたくて真っ先にインターネットを頼っているのに、そこに出てきた情報を疑うこと前提で見ていたら疲れます。

ですので、一旦、書いてあることをそのまま受け入れた上で、自分の中にある関連知識、そして別のサイトでも書かれている情報等を総合的に判断して、私としては「これを信じる」と。

それが間違っていることもありますが、まぁ、気付いたときに情報を上書きすればいいのかな、と。


ここでふと、昔のことを思い出しました。そんな大したことではないのですが。


私がまだまだ小さかった頃、友人の家でゲームをしているときは、友人と「あそこに別の道があった!そっちじゃない?」「うわーこっちも違うのかよー」みたいに手探りでゲームをやっていました。

あの当時はインターネットというものに触れてもいないし、自分のお小遣いでは攻略本を買うことすらできなかったので、お互いに気付いたことや考えたことを言い合い、攻略法を探していくということが一般的だったように思います。

そして、家に帰ったらまたそれぞれでゲームをやり、翌日の学校で「どうだった?」と…。


自分にとって懐かしさに浸りつつ、今の子たちはそういうときに、「あ、ちょっと待ってググるから。(ポチポチ)次の道を右だって」「了解」みたいな感じでゲームをやっているのかなぁ…なんて考えました。

いや、そもそも、誰かの家ではなくオンラインで集まり、ボイスチャットやLINEで会話しながら、悩んだらGoogleさんに聞いて攻略してるんですかね。

そう考えると、私が友人たちとモンスターハンターをやっているときと変わらんな。

「オンライン」「ボイスチャット」「LINE」「Google」、全てにおいてインターネットがあるからこそ成せる業です。


職人の世界では「見て覚えろ!」という教育方法が割とあると思っているのですが、そのうち、師匠が実演している横で弟子が「あ、それならググるんでいいです」とスマホ片手に師匠ではなく、「誰か知らない人が書いた記事」を読みながら修行している世の中にもなるのかなぁ……なんて思ったり。


今日はこんな感じです。インターネットってすごい!