kmpen148のいろいろ

日常生活の雑感を書き出しています。備忘録的役割。

影響を受けた人物は誰かと問われたら

最近、某大手芸能事務所が何やら世間を騒がせていますね。

私の生息地であるTwitterでは色んな意見が飛び交っていて、「芸人がかわいそうだ」とか「(事務所側の記者会見に対して)こんな記者会見やる必要なかった」をはじめ、「そもそもこの事件の問題(論じられるべき部分)がすり替わっている」なども。

私としてはこの事件そのものに対して何かを思ったというよりも、「やはりメディア、特にテレビに出ている人たちは一般の人たちよりも影響があるんだなぁ」ということを再認識させられました。

もしこれが一般的な民間企業(便宜上、「一般的な」と書かせていただきます)で起こったことであれば、報道番組やワイドショーでもせいぜい「株式会社●●の社員数名が~~(中略)」と始まり、「なお、会社側はこの件に関わった社員を全員解雇処分にしたとのことです」で終わってしまう話なのだろう。司会者も「へぇー、こんな事件もあるんですね」と“冷静に”コメントを述べるだけの話だったのだろう。

となれば、もちろん事件を起こした社員の記者会見なんてものは開かれないだろうし、上層部のパワハラ問題も明るみに出なかったことでしょう。

そういう意味でも、「テレビに出ている人」と認識されている人たちの影響は非常に大きいのだなぁ、と思ったところです。
これは何も芸人やタレントだけに限った話ではなく、スポーツ選手や政治家なんかも当てはまる話だとは思います。


さて、前置きが長くなったのですが、「私が特に影響を受けた人は誰か」という部分について、ちょっとお話ししたいなと思いまして。「尊敬している」と同じ意味合いだと思ってください。

こういう問いに対して反射的に挙げられる人物は2人いまして、どちらも元プロ野球選手なのですが、1人が松井秀喜氏で、もう1人が木村拓也氏です。



まずは松井秀喜氏についてです。

私自身、巨人ファンでして、小さい頃からテレビや球場で巨人戦をずーっと見てきた人間です。当時、その中でひと際活躍していた選手が松井秀喜選手だったのですが、とにかく打ってほしい場面で打つ、しかもホームランを。またそのホームランが非常に綺麗で。

そんなプレーに魅了されていたのですが、それだけではなく人格的にも素晴らしかったことは言うまでもありません。
特に連続出場へのこだわりを持っていたのですが、その理由は著書『不動心』(新潮新書)に書かれています。

選手にとっては162試合のうちの1試合であっても、球場を訪れるファンの方にとっては、1年に1回の機会かもしれません。生まれて初めて球場に来た子供もいるかもしれません。(中略)お目当ての選手が欠場していたらガッカリします。僕が試合に出場し続けていた理由の一つに、「ファンの方々のため」という気持ちがあることは間違いありません。

松井秀喜『不動心』新潮新書、28-29頁。)

不動心 (新潮新書)

不動心 (新潮新書)


この信念に非常に感銘を受けました。

私は松井氏の巨人在籍時代、毎日のように試合を見ていたのですが、当然のように毎日試合に出ていて、私もそれを当然のように思っていました。しかし、それはこの信念に基づいていたのか…と分かったとき、より一層松井氏のことを尊敬するようになりました。

今思うと、毎日試合に出続けることって大変ですよね。むしろメジャーでは、たとえ主力級の選手でも怪我防止のために定期的に休場させていますし。

私はただの会社勤めの人間ですが、「毎日出続ける」という尊敬する松井氏の信念は、これからも常に心に留めておきたいと思います。有給休暇は取りますけど。



次に木村拓也氏についてです。


簡単な経歴をご紹介すると、1990年ドラフト外日本ハムへ入団、1994年オフに広島へトレード、2006年途中に巨人へトレード、2009年に現役引退。そして、2010年からは巨人のコーチに就任するものの、同年4月2日、広島との試合前シートノック中に突然意識を失い倒れ込む。クモ膜下出血により、4月7日に永眠…。
(広島戦での出来事というのが、何というか……)

現役を引退し、さぁ、これからはコーチとして第2の人生のスタートだというときに突然の死。私もこれには本当に涙しました。余りにも早すぎる。
ニュースで倒れ込む様子が流されていましたが、今でも脳裏に浮かぶくらい衝撃的だったことを覚えています。

ところで、現役時代の木村氏は外野も内野も守り、控え捕手がいなくなったときに急遽捕手を守る(今でも語り草となっている2009年9月4日の試合)というユーティリティプレーヤーでした。

しかし、木村氏はその立ち位置を最初から狙っていたわけではなく、そうしないとこの世界では生き残れないと悟ったからこそだと、2010年新人研修の講師を務めたときに語っています。

自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。

木村拓也氏による新人研修講義
(以前、巨人の公式ホームページに掲載されていたのですが、削除されているようなので、そのときに私がWordに貼り付けて残しておいたものから引っ張ってきました)


この「何でも屋」いう立場、「便利屋」とかちょっと悪いニュアンスが加わると「器用貧乏」なんて言われたりもしますが、私としては決して悪いことだとは思いません。
むしろ、色んなことができるからこそ、その分色々な視点から物事を見ることができると思っています。

「何でも屋」という立場を利用されて何でも押し付けられないようにしたり、抱え込みすぎて体調を悪くしないようにしたりと注意点はあると思いますが、自分自身、結構この立場を目指して行動していた気もします。心構えとしては大切なことだと思っています。


長々となりましたが、今回はこんな感じです。