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【感想】『エキストラ・イニングス 僕の野球論』

読了:松井秀喜『エキストラ・イニングス 僕の野球論』文春文庫、2016年。

books.bunshun.jp


 久々に松井秀喜氏の著書を読みました。過去には『不動心』(新潮新書、2007年)、『信念を貫く』(新潮新書、2010年)を読んでおりますが、それらはまだ松井氏が現役時代の頃に書かれたものでした。今回の本は引退後のもので、2013年〜2014年にかけて新聞に寄稿した内容を再編集してまとめたものです。

 選手の立場では素直に認められなかった敗戦の落胆や力の衰えなどを、プレーを離れたからこそ冷静に見つめて考えることができた。一方で40歳となった今振り返る若き日の自分は、必ずしも当時の自分自身ではないとも意識した。若いころの行動を今になって無理に意味づけしたり、美化したりせず、なるべく客観的に分析するよう心がけた。
 技術的な事柄はそれほど書いていない。だが野球選手が読んでもプラスになるところはあるかもしれない。気持ちの持ち方という意味では、プラスになってほしいという願いはある。20年間プロ生活をしてきて感じたことをある程度伝えたので、共感してくれる部分があればもちろんうれしいし、そうでなくともこれを元に考えてくれたらいい。


 選手の頃から非常に客観的に周りを見ている文章を書かれていたように思いますが、「選手以外の目」を持ち合わせた松井氏がどのようなことを語っているのか、と興味深く読ませていただきました。


 私が物心がついて野球を見始め、ちゃんと「松井選手がすっげーぞ」と認識し始めたのは中日の山崎武司選手(当時)と本塁打王争いをしていたシーズンだったので1996年ですかね。この頃から松井氏の弧を描くキレイなホームランに魅了されていました。


……と松井氏について書き始めたら延々と書いていられそうなので、本書に書いてあったことだけをピックアップして書いていきたいと思います。

 一対一の指導という意味では巨人での長嶋茂雄監督が初めてだった。高校3年間でそれなりの経験をし、打撃に対する知識もある程度ついた。その段階で初めて技術指導を受けたことには大きな意味があった。
 受けた指導と自分の感覚とのすり合わせができるレベルに達したところで、最高の指導者の下へ送り込まれたわけだ。アマチュア時代の細かい指導で伸びる選手もいるだろうが、僕の場合はこれが最高のタイミングだった。
 監督の意図することはすぐに分かった。必ずしも高い要求に応えられたわけではないが、求めを理解できなかったことはない。それは長嶋監督が僕の中に入り込み、僕の視点から打撃を追求していたからだろう。別世界に入り込んだような表情で僕のスイングを見つめていた監督は、松井秀喜という選手に同化して一緒にバットを振っていたのだと思う。


 長嶋茂雄氏は独特な表現をして聞いている側を困惑させることが多いような印象ですが、松井氏にとってはそんなことなかったようですね。
 結果論であることは重々承知なんだけれども、やっぱりこういうエピソードを聞くと、松井氏があのような選手になれたのは長嶋氏との出会いがあったからなんだろうなと思ってしまいます。なんかこう、言葉にはできない、「感性の一致」とでも言えるようなお互いだったのでしょう。

 本当にスキあらば素振りをしていたそうで、時には電話越しに、時にはアメリカでもホテルに呼び出されて(このことは本書にも書いてあります。)、さらには(何で聞いたか忘れましたけど)松井氏が裸になって素振りしたこともあったようです。これこそ何人も侵すことのできない「聖域」というやつですかね。


 松井氏の野球人生で結構有名なエピソードとしては、1996年のオールスター戦での出来事があります。

 オールスター戦での野村監督といえば、ファンは96年を思い出すのではないか。東京ドームでの第2戦の九回2死、僕の打席でパ・リーグイチローさんをマウンドに送った。強肩で知られる外野手のイチローさんをファンサービスで登板させる計画は第1戦の前から話題になっており、野村監督はその起用に反対していた。
 次打者席にいた僕は野村監督に呼ばれてどうするかと聞かれ「監督にお任せします」と答えた。投手の高津さんが代打で出て遊ゴロに倒れた。対戦を期待していたファンをがっかりさせることになったが、僕もオールスター戦に関しては野村監督に近い考えだった。球宴という舞台でも野球の本質は真剣勝負にあると考え、公式戦で自分に期待されているような打撃を一流投手の集まる舞台で披露できればという気持ちでプレーしていた。


 これは私もテレビを通してリアルタイムで見ていました。当時はセパのスター選手がまさかの対決ということで「おぉー!」と興奮して楽しみにしていたのに、セ・リーグ監督の野村克也氏は代打に高津臣吾投手(当時)を送ったので、「えぇ……」と落胆したのを覚えています。

 しかし、この「代打・高津」には引用したやりとりや次の記事のような意味が込められていました。

www.chunichi.co.jp

 これに激高したのがセを率いていたヤクルト・野村克也監督だ。まずはベンチを出て松井に歩み寄った。野村監督は「おまえ、嫌だろう?」と言葉をかけ、松井は「僕は、どっちでもいいですよ」と答えたという。


(中略)


 試合後も怒り心頭の野村監督は「名監督と言われる人が、人の痛みを分からんようでは困る」と仰木監督を一刀両断した。松井はセ・リーグを代表する顔というべき存在。打っても当然、抑えられれば赤っ恥の状況になりかねい。野村監督は深く傷つく可能性すらあった松井を守ったわけだ。と同時に、スター選手が集うオールスターの舞台で真剣勝負をしない演出が許せなかった。


 確かに、イチロー氏は打者なので投手として「打たれるのはしょうがない/抑えたらすごい」とノーリスクなのに対して、松井氏は打てなければ「打者の投げる球が打てないなんて…」、打てば「打者の投げる球なんだから打てて当たり前」とメリットがないですよね。
 当時はまだそこまでの考えに至らなかったので2人の対戦が見れずに残念な気持ちの方が強かったのですが、歳を取った今では(というかだいぶ前からですけど)「やはりあの時は野村監督の判断が正しかった」と思うようになりました。

 松井氏も言うように、いくらオールスターとはいえ対戦する以上は真剣勝負であるべきだと思います。ましてや、選手たちは各ポジションにおいて選出されている、少なくとも「野手」と「投手」という枠で選出されているわけです。それなのに「野手」として選ばれた選手が「投手」として出場するのは、「投手」として選出された選手にも失礼になるのかな、と。大谷選手のようにシーズン中から二刀流として試合に出ているのなら別として。

 まぁ、そういうのもありますけど、私としてはここ最近のオールスターには結構辟易しているんですよね。変化球を投げるのが禁止されているかのようになぜかストレートのみの勝負しかしない、つまらないものになったなぁ……なんて思っています。もっと変化球も多投して、シーズンでの対決さながらな勝負を見たいんですけどね、オールスターにそんなことを望むのは野暮なんでしょうか。

 ちょいと脱線しましたが、まぁ、お互いに現役を引退した今、草野球とかで2人の対決は見てみたいですね。


 松井氏はテレビのインタビューの時もそうですが、ちょいちょい冗談は言いつつも、言葉を選びながら、しっかりとした話し方をされています。それはこうした書籍の形になっても変わりません。非常に分かりやすく、読みやすい本でした。


 今回はこんな感じです。

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