私はホーチミンに行ったことがないのでそれはそれで初めて知ることばかりな記事だったのですが、気になったのはむしろ「昭和」という部分で、最近ふと思ったことがあってTwitterでこんなことを投稿していたんですね。
「昭和な風景」って言われるとなんとなく、あー、あんな感じね、みたいなイメージってあるけど、10年くらい経った頃に「平成な風景」って言われたらどんな風景がイメージとして湧いてくるのだろうか
— ペンギンに囲まれて暮らしたい (@kmpen148) 2020年2月2日
まぁ、私自身生まれは昭和ですが、周囲を認識できるようになった時はすでに平成になっていたので、胸を張って「昭和を生きていました」とまでは言えません。ただ、昨年年号が令和に変わったということで、3つ目の時代を生きることになりました。
それはさておき、先ほどのツイートに話を戻します。
私は、記憶がある限りでは「平成」という時代でしか生活をしてこなかったわけですが、それでも親・親戚やメディアを通して「なんとなく」昭和のイメージが頭の中にあります。
今でも日曜日の夕方になれば、「昭和」の代名詞とも言える「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」を見ながら、あぁ、こんな感じだったんだろうなーなんて思うのです。
大気汚染が蔓延し、ゴミだらけで、衛生の観念が甘く、法にもとづいた交通規則がちゃんと守られない街。
清潔で、法にもとづく交通規則がきちんと守られている日本の暮らしに慣れている人には、それらは無秩序な環境とうつるかもしれない。
ところが現地の人の挙動をみるに、現地には現地の秩序があり、人々の暮らしはしっかりと成り立っていた。
ホーチミン市の秩序と人々の暮らしは、令和時代の日本ではなく、昭和時代の日本のソレに近いようにもみえる。
(中略)
昭和時代の日本人と同じように、たぶん彼らは「世の中はそういうものだ」と受け止めている。
冒頭記事の引用ですが、多分、私の身近でこういう側面(と言っても大気汚染とかそういうレベルにまではなっていませんが)に触れられるとしたら近所の商店街なんかがそれに近いのかな、と思います。別に批判するというわけではありませんが、無秩序な面ってありますよね。
店の前なのに自転車に跨りながら喋っている人。
歩行者の隙間をすり抜けるように通る自転車。
途中の信号は基本無視していく歩行者。
あとは、近所の商店街では野菜を路上に並べている八百屋さんもありますね。抜け道的な道路なので決して車通りが多い道ではありませんが、やっぱりそれらを買うのは躊躇ってしまうのです。そもそも地域にずっと昔からあるお店だろうから、それこそ顔馴染みの人ばかりでなかなか利用しにくいというのもあるのですが。
こういう風景が良いか悪いかということではなく、「昭和の風景」と言われると私は少なからずそういうイメージが湧いてきます。しかし、その一方で「平成の風景」と問われるとはてさてどんな風景が浮かぶか……というと、こうパッと出てくるイメージが今のところないんですよね。
と言っても、令和になってからまだ1年も経っていないので、今後10年くらい経った頃にどんな風景が浮かぶかなーということです。
例えば都心のビル群なんかは平成っぽいのかもしれませんが、令和ではそれを超えるような形になっていたり、逆にそれらは解体されてもっと新しい形になっていたりしないと「平成の風景」とは言えない気がします。
昭和時代の生活に密着していた地域の商店街やら小売店が、平成時代には大型スーパーなどによって姿を消しつつあるからこそ、それらが「昭和の風景」としてのイメージになったように。
今回はこんな感じです。