kmpen148のいろいろ

日常生活の雑感を書き出しています。備忘録的役割。

気が早いけど色々と考えてしまう

最近、というか、子供が産まれてから色々と考えることがありまして、それをつらつらと書いてみようかと思っています。


ちなみに、奥様はこのブログの存在を知らない(はず)ので、あまりペラペラと出産当時の様子を書いてしまうと後々この存在が判明したときに何を言われるか分からないので詳細は書きませんが、とにかく我が子はこの世に出てきてからまだたったの5ヶ月半しか経っていないのです。


しかし、それでも「1人」として確実にそこに存在しており、それも日に日に目に見えて分かるような成長を遂げていて、この時期の子供は、噂には聞いていましたが、本当にあっという間に成長していくんだな……と。


産まれたばかりの頃はか細い声で泣き、ちょっと力を加えたら折れてしまうのではないかと思うくらい小さく、抱っこするのも怖かったのです。
それでも、小さな身体、不安定な命で必死に1日1日を生きているのだな、と勝手に感動していました。

それが今では寝返りもするし、大きな声で泣くし、ケラケラと声を上げて笑うしで、大人にとってはたかだか5ヶ月半かもしれませんが、子供にとっては目まぐるしい5ヶ月半だったと思います。
見ているこちら側としても驚くほどの成長っぷりでした。

いや、もうほんと「人間の神秘」と言ってもいいんじゃないかと思っているのですが、この時期の子供の成長を見逃すのは本当に勿体無いなぁ、と感じているところでもあります。

単純に我が子の成長を楽しむということもあるのですが、この時期の成長具合って、自分の記憶の中にはないじゃないですか。自分自身にもこの時期は確かにあったはずなのに。
だから、自分の子供を通して「あぁ、自分もこんな感じで成長していたのかな」って追体験できる機会でもあるんじゃないのかなー、と。


それはさておき、こうして「子供」という存在に直面すると、やはり生活環境が物理的にも精神的にも変わらざるを得ない状況でして、細かい物は片付けたり、子供用の服やら玩具が増えたり、ケラケラ笑う声を聞いて一緒になって笑ったり、名前を呼ぶとこっち向いてくれたり、まぁ、とにかく生活環境が急転しますね。
それと同時に、子供を育てていくという重大な責任を負ったわけです。

そうすると、将来的なこともちらほらと頭に浮かんでくるわけですよ。

いや、まずはこの不安定な生命を一定の時期までしっかりと育て上げることの方が優先事項でしょ、とお叱りを受けそうなのですが、私としてもそれは現状、一番最初に考えなくてはいけないことであると認識しています。

それでもある程度の見通しというか、将来直面しそうな場面をシュミレートしておくことって大切なことだとは思うんですね。


例えばですが、


習い事に関して、基本的には「やりたい」と言ったものは否定したくない。でも、3つも4つもとなった場合はどうするか。

「お金」という概念をどう学ばせていくか。

「何で勉強をしなければいけないの?」という問いにどう答えるか。自分なりの回答はあるにはあるのですが、それをどう伝えるか。

「やりたくないこと」に直面したときに、どのように導いてあげるか(助け船を出してあげるか)。

「学校に行きたくない」となった場合に、どういう選択をした方がいいのか。

モンスターハンターを一緒にやるにはまずどうやってゲームに触れさそうか。


などなど。
ざっと頭に浮かんだものだけでもこんな感じですかね。似たような場面を経験された方も多いかと思います。


そもそも上に挙げた場面において、ある方向性を出すにしても、現状では我が子がどういう性格の持ち主なのか、何が得意で何が不得意なのかなどなどの判断材料が決定的に足りていないわけでして、言ってしまえば今それらを考えることは「とらぬ狸の皮算用」的なことなのかもしれないけども。

ただ、やはり自分の中で予めシュミレートしておき、自分の価値観の中では「こういうときは、こうしたい」みたいな方向性を考えておくことって大切なんじゃないかな、と。

もちろん、それを子供に押し付けるつもりはないのですが。


なんかグダグダと書いてしまいましたが、結局のところ育児って楽しいですね、って話です。


今回はこんなところです。

老舗の紹介になってしまいますが

過去の写真漁っていたらまたいくつかご紹介したいカフェがありましたので、前回に引き続き書かせていただきます。

前回の記事はこちら↓↓


では、今回も3つほど。


銀座ウエス

老舗なのでわざわざ私が紹介するまでもないかもしれませんが……。

2016年に訪れているみたいですが、当時の私の中では「ちょっと格式高いお店を経験してみたい」ということで訪れました。
予想通りというか、客層は中高年の方々ばかりだったのですが、途中から数組の若い方々も入店してきた記憶があります。ですので、私が偶然そういうタイミングで入店しただけで、若年層の利用もそれなりにあるのかな。


あんみつ みはし

こちらも言わずとしれた老舗です。

和風なカフェに入るとあんみつを食べることもあるのですが、なんだかんだ言ってやはりみはしのあんみつが一番美味しいと思っています。

上野に行く際、他にめぼしいお店がなければ立ち寄るくらいに私の中では定番のお店になっています。
つい先日も、上野動物園に行った帰りに寄ってきました。フルーツクリームあんみつを食べました。


加茂みたらし茶屋

前回の記事でも少し触れましたが、こちらは京都旅行の際に訪れたお団子屋さんです。
2014年の旅行で訪れたのですが、詳細は曖昧ですので写真だけ載せておきます笑


今回はこんな感じです。

印象に残っているカフェ

突然ですが、ケーキを食べながら、コーヒーを飲む。これ、いいですよね。

私の趣味の1つに「カフェ」がありまして、実家暮らしや一人暮らしのときはよく1回の外出で2~3件を巡っておりました。

きっかけは高校時代の友人で、その友人とは大学は別々でしたが、定期的に美術館や博物館に行き、カフェで他愛もない会話に花を咲かせるという付き合いをしていました。

お互いに学生の頃はチェーン店の某カフェを利用していたのですが、友人が社会人(私は大学院進学)になると利用するお店も変化し、いわゆる「お洒落なカフェ」を利用するようになりました。大体、美術館→カフェ2~3件という流れだったのですが、事前に色々とめぼしいカフェを調べてきてくれ、メトロ1日券も利用しながら(時には歩きながら)そのカフェに赴いたものです。

友人は夜勤も多かったようで、よく1人でもカフェを巡っているという話を聞き、私も試しにやってみよう、と。それが始まりですかね。


そんな私は、当時の憧れもあり、六本木や銀座周辺でカフェを探しまくり、その中から気になるお店に行っておりました。ちなみに、情報源は「食べログ」だったのですが、お店の名前と場所、メニューをちょっと確認するくらいで、★や口コミはほとんど参考にしませんでした。
口コミを読むと色々と書いてありますが、結局味覚は人それぞれなので「自分自身で食べてみないと分からないしなー」と考えていたからですね。


大体、美術館(映画等)→ランチ→ウィンドウショッピング→カフェ→カフェみたいな流れで行動していたのですが、これだけでそれなりに出費になりました。ただ、私自身も大学院生から社会人へと転身できていたので、まぁ、あまり金額的には気にしてなかったですかね。

当時はまだ実家暮らしだったので、「自己投資だー」と自分に言い聞かせて「収入=支出」みたいな生活をしていましたし。さすがに一人暮らしを始めたら、少しセーブしましたけど。



閑話休題



こうして割と色々なお店(主にカフェ)に行ってきたのですが、いくつかご紹介できればなーと。リピートしていないお店やリピートしてからもう数年経ってしまっているお店ばかりなので、「紹介」と言えるほどのものではありませんが……。


一応、食べログや公式ホームページを見て、まだやっているお店をピックアップしていますが、当時のメニューが今ではもうないかもしれないし、お店の様子も変わっているかもしれません。味についても、私の中では「美味しかった」と思っていても、詳しい味付けだとか風味だとかについては曖昧です。

そのため、店名とURL(食べログ)を載せ、一言を添えるだけにしたいと思います。
「へぇー、こんなお店があるんだー」くらいでお読みいただければと思います。


ヒガシヤギンザ(HIGASHIYA GINZA)

2回ほど利用しました。
1回目はランチメニューで、2回目はアフタヌーンティーセット。「アフタヌーンティーセット」と言うものの、内容は全て和菓子でしたので、和菓子が好きな方には嬉しいセットだと思います。


デンメアティーハウス

国立新美術館(六本木)から少し下ったところに、ひっそり(?)とあるお店です。店内では数多くの紅茶が販売されているのですが、それらの匂いが漂い、何とも言い難い空間を生み出しています。ちょっと優雅な気分にもなれます。

ちなみに、こちらの看板商品は「ザッハトルテ」なのですが、ここで初めて知りました。3DSドラクエモンスターズ2の相棒モンスターの名前にしたのを覚えています。

eX cafe(イクスカフェ)

番外編かもしれませんが、京都の嵐山にあるカフェです。
横山由依さんの「京都いろどり日記」で取り上げられたのを見て知ったのですが、ちょっと細い道を入ったところにあるため、そんなに混んでない印象です。

1回目では京黒ロールくろまる抹茶、2回目ではほくほく団子セット(自席で団子を焼けます!)を注文しました。
せっかくなのでこちらは写真を載せておきます。


なお、大学4年生の頃から毎年京都旅行をしているのですが、それについては別の機会に改めて書きたいと思います。


今後も訪れたことのあるカフェ等を紹介していきたいと思いますが、あまりにも過去のものは本当に一言だけで終わってしまうと思います。逆に、最近訪れたようなお店であればもう少し詳しく書きたいです。


ということで、今回はこんな感じです。

影響を受けた人物は誰かと問われたら

最近、某大手芸能事務所が何やら世間を騒がせていますね。

私の生息地であるTwitterでは色んな意見が飛び交っていて、「芸人がかわいそうだ」とか「(事務所側の記者会見に対して)こんな記者会見やる必要なかった」をはじめ、「そもそもこの事件の問題(論じられるべき部分)がすり替わっている」なども。

私としてはこの事件そのものに対して何かを思ったというよりも、「やはりメディア、特にテレビに出ている人たちは一般の人たちよりも影響があるんだなぁ」ということを再認識させられました。

もしこれが一般的な民間企業(便宜上、「一般的な」と書かせていただきます)で起こったことであれば、報道番組やワイドショーでもせいぜい「株式会社●●の社員数名が~~(中略)」と始まり、「なお、会社側はこの件に関わった社員を全員解雇処分にしたとのことです」で終わってしまう話なのだろう。司会者も「へぇー、こんな事件もあるんですね」と“冷静に”コメントを述べるだけの話だったのだろう。

となれば、もちろん事件を起こした社員の記者会見なんてものは開かれないだろうし、上層部のパワハラ問題も明るみに出なかったことでしょう。

そういう意味でも、「テレビに出ている人」と認識されている人たちの影響は非常に大きいのだなぁ、と思ったところです。
これは何も芸人やタレントだけに限った話ではなく、スポーツ選手や政治家なんかも当てはまる話だとは思います。


さて、前置きが長くなったのですが、「私が特に影響を受けた人は誰か」という部分について、ちょっとお話ししたいなと思いまして。「尊敬している」と同じ意味合いだと思ってください。

こういう問いに対して反射的に挙げられる人物は2人いまして、どちらも元プロ野球選手なのですが、1人が松井秀喜氏で、もう1人が木村拓也氏です。



まずは松井秀喜氏についてです。

私自身、巨人ファンでして、小さい頃からテレビや球場で巨人戦をずーっと見てきた人間です。当時、その中でひと際活躍していた選手が松井秀喜選手だったのですが、とにかく打ってほしい場面で打つ、しかもホームランを。またそのホームランが非常に綺麗で。

そんなプレーに魅了されていたのですが、それだけではなく人格的にも素晴らしかったことは言うまでもありません。
特に連続出場へのこだわりを持っていたのですが、その理由は著書『不動心』(新潮新書)に書かれています。

選手にとっては162試合のうちの1試合であっても、球場を訪れるファンの方にとっては、1年に1回の機会かもしれません。生まれて初めて球場に来た子供もいるかもしれません。(中略)お目当ての選手が欠場していたらガッカリします。僕が試合に出場し続けていた理由の一つに、「ファンの方々のため」という気持ちがあることは間違いありません。

松井秀喜『不動心』新潮新書、28-29頁。)

不動心 (新潮新書)

不動心 (新潮新書)


この信念に非常に感銘を受けました。

私は松井氏の巨人在籍時代、毎日のように試合を見ていたのですが、当然のように毎日試合に出ていて、私もそれを当然のように思っていました。しかし、それはこの信念に基づいていたのか…と分かったとき、より一層松井氏のことを尊敬するようになりました。

今思うと、毎日試合に出続けることって大変ですよね。むしろメジャーでは、たとえ主力級の選手でも怪我防止のために定期的に休場させていますし。

私はただの会社勤めの人間ですが、「毎日出続ける」という尊敬する松井氏の信念は、これからも常に心に留めておきたいと思います。有給休暇は取りますけど。



次に木村拓也氏についてです。


簡単な経歴をご紹介すると、1990年ドラフト外日本ハムへ入団、1994年オフに広島へトレード、2006年途中に巨人へトレード、2009年に現役引退。そして、2010年からは巨人のコーチに就任するものの、同年4月2日、広島との試合前シートノック中に突然意識を失い倒れ込む。クモ膜下出血により、4月7日に永眠…。
(広島戦での出来事というのが、何というか……)

現役を引退し、さぁ、これからはコーチとして第2の人生のスタートだというときに突然の死。私もこれには本当に涙しました。余りにも早すぎる。
ニュースで倒れ込む様子が流されていましたが、今でも脳裏に浮かぶくらい衝撃的だったことを覚えています。

ところで、現役時代の木村氏は外野も内野も守り、控え捕手がいなくなったときに急遽捕手を守る(今でも語り草となっている2009年9月4日の試合)というユーティリティプレーヤーでした。

しかし、木村氏はその立ち位置を最初から狙っていたわけではなく、そうしないとこの世界では生き残れないと悟ったからこそだと、2010年新人研修の講師を務めたときに語っています。

自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。

木村拓也氏による新人研修講義
(以前、巨人の公式ホームページに掲載されていたのですが、削除されているようなので、そのときに私がWordに貼り付けて残しておいたものから引っ張ってきました)


この「何でも屋」いう立場、「便利屋」とかちょっと悪いニュアンスが加わると「器用貧乏」なんて言われたりもしますが、私としては決して悪いことだとは思いません。
むしろ、色んなことができるからこそ、その分色々な視点から物事を見ることができると思っています。

「何でも屋」という立場を利用されて何でも押し付けられないようにしたり、抱え込みすぎて体調を悪くしないようにしたりと注意点はあると思いますが、自分自身、結構この立場を目指して行動していた気もします。心構えとしては大切なことだと思っています。


長々となりましたが、今回はこんな感じです。

Twitterのタイムラインはごちゃごちゃしている方がいい

今回はちょっとTwitterについて書いてみようかと思います。

私はTwitterを2009年から利用しています。
Wikipediaによると、Twitterが日本でサービス展開を始めたのは2008年らしいのですが、そういう意味では黎明期から利用していたと言ってもいいのでしょうか。

とは言っても、最先端的に情報を発信し、一線級の方々とやり取りをしていたのではなく、大学の先輩に「こんなサービスがあるんだよ」と教えてもらったのが始めるきっかけでした。

ちょうど就職活動時期でもあったため、当初は企業や各業界の情報収集を主な目的として利用していたのですが、同じ「就活生」という境遇の人と繋がれば、年齢も近いはずだしもっと面白くなるんじゃないか、と思い、そういう方々を片っ端からフォローしていきました。

案の定、「今日の面接で〇〇な質問があった、意味不」とか「お祈りメールキタ━━━━━━━━!」みたいなツイートを多く見かけるようになり、リプライを飛ばし、他愛もない会話を楽しんでいました。会ったこともない人たちと。

そんなTwitterライフを過ごしていたので、必然的にフォロワーさんのフォロワーさんと繋がっていき、共通のフォロワーさんが多くなり、いわゆる「オフ会」なんてものにも参加していました。
そこで出会った方たちはやはり「同じような境遇」+「同年代」ということもあり、気が合う人同士はその後も関係が続き、定期的に飲み会をしたり、集団で旅行に行ったりもしました。


そんなこんなで各々就職先も決まり、仕事が忙しくTwitterの更新頻度が極端に減ったり、そのままフェードアウトしたりする人も少なくはなかったのですが、それでも仲良い人同士はTwitter関係なく、交友関係が続いているという状態でした。

私の例を持ち出すと、今でも続いている関係はないのですけどね………笑
別に何かがあったというわけではなく、次第に疎遠になっていったというところでしょうか。

その一方で、当時のアカウントは2014年頃でしょうか、諸々の事情により削除しています。なので、当時の方々とはフォロワー関係すらリセットされた状態です。
んー、なんでしょうね、「Twitter」そのものとの距離感がいまいちよく分からなくなって、一度リセットしたかったというところでしょうか。その後、再開するつもりはなかったんですけどね。


しかし、結局、約1年くらいのブランクがあって、2015年に今のアカウント(kmpen148)を開設しました。


当時、無料マンガアプリの「comico」を利用していたのですが、お気に入り作品の作家さんの多くがTwitterを利用されていたので、情報等を追いたいなぁーと思ったことと、自分の周りでcomicoを利用している人がいなかったので、Twitterならそういう方々と繋がれるだろうと思ったことが再開のきっかけです。


今ではcomicoのcの字も出てこないくらい全然違うことをツイートしていますが……。


さて、私のTwitter歴はこんな感じなのですが、最近、フォローを増やしました。具体的には150人から200人へ。


昔からTwitterのいいところとして、「タイムライン(TL)がごちゃごちゃしている」ことだと思っています。

Twitterには色々な趣味や思考をお持ちの方がたくさんいるので、無差別的にフォローしていると自分のTLに様々な話題に関するツイートが流れてきます。これが本当に楽しい。

しかし、それまでの150人の中には趣味に関する公式アカウントや情報系アカウントが多かったので、割と機械的なツイートがTLを占めていました。

その辺をちょっと見直して、Twitterの本来「いいところ」だと思っている状態に近付けようということで、約50人ほど増やしてみました。


具体的にどのような属性の方を増やしたかは伏せますが、同じ趣味をお持ちの方や私と同じ状況にある方を中心に、なるべく継続的にツイートしている方をフォローさせていただきました。

個人的にはこれがポイントだと思っていて、TLをごちゃごちゃさせるためにはやはり、継続的にツイートしている方を選ぶ必要があると思っています。
Twitterって「他人の日常の覗き見」に近いところがあるので、そういう意味では日常垂れ流しの方をフォローする方が楽しいですよね。

そんな感じで50人ほど増やしたことでだいぶごちゃごちゃしてきました。この状態を一定期間続けたらまた増やしてみたいと思います。


まぁ、Twitterの使い方なんてのは人それぞれなので、自分なりの楽しみ方を見付けられればそれでいいのでしょう。

昔のアカウントで繋がっていたフォロワーさんたちは元気だろうか。

今回はこんな感じです。

一度はやってみたかった

こんにちは。

今回はもうサクッと。

タイトルの通り、一度はやってみたかったことをやってみました。




じゃじゃーん!



プロ野球チップス2019 第2弾」が先日発売されたということで、箱(24袋入)を買ってしまいました。

妻とそれぞれ1日1袋ずつカードを開けるという取り決めにしたので、ちゃんと守れば12日間でカードは出尽くします。

なお、ポテトチップスの消化はいつまでかかるか分かりません。でも、プロ野球チップスのサイズってちょうどいいんですよね。多すぎず少なすぎず。

今回はこんな感じです。

「面白くない」と思ってもそれは間違いではない

こんにちは。
先日、私の愛読サイトである「Books&Apps」さんで次の記事を読みました。


いや、これ本当にまさにその通りだと思うんですね。
「面白い/面白くない」の他にも「楽しい/楽しくない」、「感動した/感動しなかった」とかあるとは思うのですが。

勝手に私の趣味に結び付けてちょっとしたお話をしようと企んでいるのですが、しばしお付き合いください。

先日まで散々モンスターハンターのことを記事にしていましたが、アニメも趣味と言える部類に入り、その中でも特に、未だに個人的ランキングの頂点に君臨しているアニメがありまして、それが「CLANNAD」なんです。

おそらくその界隈では割と有名な作品であると思うのですが、とにかく未だにこの作品を越える作品に出会っていないと思っていて、さらには昔のように深夜アニメを録画して何本も見るということがほとんどなくなってしまった現状では、おそらく今後も出会えない気がします。

ちなみに、「CLANNAD」で検索していただくと分かると思うのですが、割と高評価なものが多く、「CLANNADは人生」なんて名言(?)まで生み出されている作品なんですね。
(まぁ、この言葉、私としては独り歩きしてしまっている感があるのですが、それはここでは触れないでおきましょう。)

他にも色々と考察されていて、もうとにかくその筋の方々にはある種崇められているような作品と言ってもいいでしょう。

さてさて、このCLANNADなんですが、元はゲームでして、いわゆる恋愛アドベンチャーゲームが始まりでした。最初はPCゲームだそうです。
しかし、何を隠そう私は未プレイでアニメが初見だった人間です。

アニメを見てCLANNADにハマり、当時はまだ学生だったので少ないバイト代でDVDを買い、1年に1回は必ず見返して同じ場面で泣いたり、違う場面で泣いたり……していました。

そんなある時、PS4版のCLANNADが出るということで、「よっしゃ、ゲームもやってCLANNADコンプリートを目指すか!」と一念発起したのですが………



不思議なものですね、アニメだとあんなに「面白い」と感じていたのに、いやー、これがまたゲームだと「面白くない」。

PS4版は、主人公以外のキャラクターはフルボイスだったためじっくり聞きたくなる一方で、キャラクターに動きがほぼない。文章を追わなきゃならない。所々で選択肢を選ばなきゃならない。こうなってくるととにかくテンポが悪い。色んな分岐があるから各ヒロインとのストーリーを楽しめるとは分かっているのだけれど、そうなるように「攻略」しなければならない。

正直、苦痛でした。

それでもストーリーのために我慢してやってはみたものの、長続きしませんでした。結局1人分すら攻略できていなかったような。

まぁ、多分、CLANNADが面白くないのではなくて、根本的にこのジャンルのゲームは向いていないんでしょうね。
どうしても「いや、これならアニメでいいじゃん」って思ってしまうんですよね。

アニメでは語られないストーリーを楽しむことができるから面白いのでしょうけど。

だから、CLANNADの全ストーリーがアニメ化されれば、そりゃもう狂ったように見ると思いますよ。
特に宮沢有紀寧のストーリーは見てみたいですもの。申し遅れましたが、私はCLANNADの中で宮沢有紀寧が一番好きです。

でもですね、やはりゲームをやらずにアニメだけ見て「CLANNADが好きだ」と言っている人は一部からすると邪道のようで、まとめサイトとかでそういう人に対しての批判的な発言を見たりもします。

その場合の批判というのは、私を含め特定的な誰かに直接言っているわけではなく、「ゲームをやらずにCLANNADを好きと言っている人」という括りで批判しているのですが、もしそこで私が「それ私です。ゲームは面白くありませんでした。でもアニメはすごい面白かったのでCLANNADが大好きです。」なんて言った日には、「ゲームやってから出直してこい」とか「そんなんでCLANNAD語るなボケ」とか言われる可能性があるわけですよ。大袈裟かもしれませんが。

でも、似たようなことってそこかしこで起こっていると思います。
そりゃもう日常茶飯事のように。

人間の感性なんて人それぞれであって、ある事象に対して「どう感じたか」はその人にしか分からないものです。

「私は『面白い』と思った。あなたは『面白くない』と思った。」

単純にこれだけでいいじゃないですか。

今回はそんな感じです。